研究課題/領域番号 |
25370127
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
八木 春生 筑波大学, 芸術系, 教授 (90261792)
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研究分担者 |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 龍門石窟 / 奉先寺洞 / 西安唐代仏教美術 / 洛陽唐代仏教美術 |
研究実績の概要 |
本年度は、龍門石窟初唐窟を代表する第1280窟(奉先寺洞)の再評価を中心におこなった。この窟とほぼ同時期に造営された第555窟(蔡大娘洞)、第557窟(清明寺洞)などには、1280窟からの直接的な影響を看取できない。これら2窟の本尊は、661年に開かれた第331窟(韓氏洞)と共通する形式を持つと同時に、第403窟(敬善寺洞)からの強い影響が認められた。一方、第1280窟と併行して検校の恵簡によって開かれた第565窟(恵簡洞)、また680年に則天武后と密接な関わりを持つ女官や比丘尼らにより開かれた第543窟(万仏洞)には、第1280窟との繋がりを指摘できた。両窟とも本尊の地髪部分の表現に第1280窟本尊の影響を指摘でき、弟子像なども類似する。だがそれらの類似は、どれも部分的である。そしてこの2窟とも本尊は、基本的には660年代からの龍門石窟造像の系譜上にあったことが理解される。また第543窟では、弟子像も第159窟(賓陽南洞)以来の伝統形式が採用され、第20窟(潜渓寺洞)像とも密接な関係が認められる。したがって第557窟、第565窟、第543窟はすべて、第159窟に始まり、第331窟や第403窟など660年代初頭から後半に開かれた窟の造像に継承された諸形式を自律的に展開させたもので、第1280窟とは系統を異にするものとして位置づけられる。 第1280窟像には、西安の流行形式の反映が多く認められた。この像を彫り出した工人たちによってもたらされた最新の首都様式(西安初唐様式)は、しかし680年代初頭、龍門石窟の工人たちにさほど強い影響を与えなかった。第1280窟以前より、龍門石窟には西安仏教美術の情報が頻繁に伝えられており、唐代唯一の勅願窟である第1280窟造営に際して導入された形式も、西安の流行形式のひとつとしてしか評価されなかったことが理解される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
26年度は、河北地方、山西地方、四川地方などで実地調査をおこなった。河北地方では、荊州地区の南宮後底閣村遺址や邯鄲氏北呉庄から出土した造像の調査をおこなった。山西地方では、天龍山石窟や山西省忻州市静楽県浄居寺石窟のを訪れ、初唐時代末から盛唐時代初頭の仏教造像の特徴を理解し、また彫刻で表現された珍しい西方浄土表現を詳しく観察した。そして四川地方では、成都の龍泉駅の初頭造像や蒲江県飛仙閣第60龕永昌元年(689)銘瑞像龕本尊について調査をおこなった。 多数の石窟内部に入って調査するだけでなく、中国社会科学院考古研究所の李裕群氏をはじめ多くの中国の研究者たちとの意見交換をおこなうことから、初唐時代の仏教 造像についての情報を多く得ることができ、また今後の研究に対して、多くの示唆を得ることができたため。
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今後の研究の推進方策 |
平成27年度は、龍門石窟研究所と中国社会科学研究所ぎょう城考古隊で、初唐時代から盛唐時代の仏教造像に関する研究会を開催する計画を立てている。また敦煌研究院から研究員の趙声良氏を招聘し、西方浄土変相図についての小規模なシンポジウムを開く予定である。 このように、中国の重要な石窟や研究所において研究発表をおこない、現地の研究者との交流をおこなうことで、新しい情報や観点を得るだけでなく、また私たちの新たな観点を紹介することが可能になると考えられる。最終年度にあたる平成27年度では、日本においてもシンポジウムを開催することで、当初の計画通りに研究を進め、研究の遂行を目指したい。
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次年度使用額が生じた理由 |
中国の書籍を購入する予定であったのが、入荷が遅れたため。
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次年度使用額の使用計画 |
中国書籍の購入。
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