本研究は、中国で生まれた最大の宗教である道教において礼拝対象となる偶像=道教像、なかでも唐時代(618-907)における道教最高神格の三清像、つまり元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊の主尊像三体一組からなる礼拝像の出現過程の解明を目指しながら、唐時代における道教像の広がりと展開、特にその造像様式にみられる地方性の諸相を解明することを目的としている。 今年度も前年度に引き続き中国に赴き、四川省資陽市および綿陽市を中心に現地に遺る石刻・摩崖造像の調査を実施した。あわせて近年中国国内で刊行・発表が相次ぐ数多くの道教美術に関する図録・報告書及び論文を収集し、唐時代道教像のデータベースの拡充をすすめた。 本研究により次の諸問題を明らかにすることができた。 [1・地域性]三清像は四川において出現された可能性が高く、その後中国各地に伝播し今日にまでその伝統が引き継がれていること。[2・造像形式の影響問題]三体の主尊像を併置(三天尊並坐)するという三清像の造像形式は、道教信仰者・教団が独自に生み出したとは考えにくく、同時期の仏教造像から少なからず影響を受け出現したと考えられること。その具体的な先例としては、唐時代に多くみられる釈迦・阿弥陀・弥勒など三体一組からなる三如来並坐像を想定すべきであること。[3・年代] 現存する作例の調査に基づく限り、三清像の出現時期は唐時代の末を遡ることはなく、各地への伝播はもっぱら宋時代以降に盛んとなったと推測できること。 以上、道教における中心尊格でありながらその図像・造像的検討がいまだほとんどなされていない三清像について、多くの新知見を得ることができた。
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