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2013 年度 実施状況報告書

14~15世紀の禅宗庭園の形成背景に関する研究 -夢窓の再評価から-

研究課題

研究課題/領域番号 25370146
研究種目

基盤研究(C)

研究機関南九州大学

研究代表者

関西 剛康  南九州大学, 環境園芸学部, 教授 (80461656)

研究期間 (年度) 2013-04-01 – 2016-03-31
キーワード日本庭園 / 禅宗庭園 / 禅宗 / 夢窓疎石
研究概要

1.研究背景:平成25年度は、夢窓が活躍した14世紀前半、特に入洛後の足利政権下で天龍寺創建や西芳寺再興において造営した禅宗庭園の形成背景について研究を行った。先行研究では、夢窓示寂後の14世紀後半すでに彼の法嗣である義堂周信の古文献研究(空華日用工夫略集)から、公家・武家・禅僧による三者の禅宗庭園の利用が活発であったことが判明していたが、14世紀前半において、明確なこの三者での禅宗庭園の利用が見られていない。そのため庭園史上、夢窓が入洛後に天龍寺創建や西芳寺再興に伴う禅宗庭園を造営する上において、この三者の利用が出来るような禅宗思想上の理論構築や利用上の整合性を行ったものと推察した。
2.研究成果:そこで、(1)夢窓と足利直義との問答を編纂したとされる『夢中問答集』の文献調査を行った。調査結果では、夢窓は、天皇家が行っている公家文化(庭園観賞・舟遊び・詩作・管弦・舞楽等)を仏教(禅)修行と同等の位置付けとして、宗教性との整合性を図っていた可能性を得た。このことは、仏教(禅)修行の場である禅宗庭園を含む禅林において、公家文化が行われることを許容するものと解釈できた。また、(2)この公家文化の行為が、以前から行われていた庭園について着目した。そこで13世紀後半から14世紀前半までの約1世紀におよぶ公家の庭園利用について、古文献(弁内侍日記、増鏡、続史愚抄、中納言侍日記、舞御覽記、花園天皇宸記、園太暦、臨幸私記)を対象にまず基礎調査を行った。調査結果では、13世紀後半から14世紀前半まで、公家文化で使用がされていた庭園は主に公家関係の別荘や宮廷系の庭園であった。しかし、この1世紀間に使用されていたこれら庭園群が、時代の変遷の中で衰退や荒廃していくとともに、14世紀前半の夢窓入洛によって造営された天龍寺や西芳寺の禅宗庭園へと使用場所が移行していった流れが見えてきた。

現在までの達成度 (区分)
現在までの達成度 (区分)

2: おおむね順調に進展している

理由

夢窓疎石が活躍した14世紀前半を、14世紀後半から15世紀におけての禅宗庭園の成熟期への変革期と考えて研究したところ、平成25年度は古文献調査がある程度順調に遂行したことにより、14世紀前半に夢窓の入洛によって禅宗思想と公家文化の融合を正当化する理論解釈の可能性を見出せてきた。
以上の理由から、本研究全体も概ね順調に進捗していると考えており、もう一つの研究の目的である禅林で関連する近接分野の美術史(文学・絵画)と仏教学(臨済宗)の先行研究との統一性も図れる可能性も見出せてきた。

今後の研究の推進方策

平成25年度で得られた研究結果を基にして引き続き、平成26年度は14~15世紀における禅宗庭園の形成に影響を与えた夢窓疎石の庭園観に関する文献研究を継続する。
そのために、(1)既往研究の整理を本年度には終了させつつ、(2)論拠を明確にするために古文献資料(日記・記録等)を継続的な調査・分析を行い、データベース化を推進する予定である。その結果を、(3)関連する学会へ論文投稿(査読付き)する予定を考えている。

  • 研究成果

    (2件)

すべて 2013 その他

すべて 雑誌論文 (1件) 学会発表 (1件)

  • [雑誌論文] 夢窓疎石の禅宗庭園と王朝文化との整合性に関する考察2013

    • 著者名/発表者名
      関西 剛康
    • 雑誌名

      (公社)日本造園学会九州支部 研究・事例報告集

      巻: Vol.21 ページ: 7~8

  • [学会発表] 夢窓疎石の禅宗庭園と王朝文化との整合性に関する考察

    • 著者名/発表者名
      関西 剛康
    • 学会等名
      (公社)日本造園学会九州支部
    • 発表場所
      ホルトホール大分(大分県大分市)

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公開日: 2015-05-28  

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