研究課題/領域番号 |
25370146
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研究機関 | 南九州大学 |
研究代表者 |
関西 剛康 南九州大学, 環境園芸学部, 教授 (80461656)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 日本庭園 / 禅宗庭園 / 禅宗 / 夢窓疎石 / 天皇 / 上皇 / 公家 / 変遷 |
研究実績の概要 |
1.研究の意義:今年度は、鎌倉期まで禅宗庭園を利用しなかった公家(主に上皇・天皇ら)が、夢窓疎石の入洛(1333)後の南北朝になって西芳寺(1339、再興)と天龍寺(1345、創建)を利用し始めたこの背景について研究した。この公家による禅宗庭園への利用変遷について明らかにすることで、禅宗庭園の形成背景に関して新たな知見が得られるとものと推察した。 2.研究の成果:平成26年度は、13世紀後半から14世紀前半の約1世紀におよぶ公家の庭園利用の変遷に関する研究の結果、特徴ある4つの時期に区分出来た。 (1)13世紀中頃の第1期(1248~1277)は、後嵯峨上皇によって王朝の文芸(舟遊び・詠歌・管弦・舞楽・酒宴・蹴鞠等)を復興したことが起因となり、鳥羽殿と亀山殿の庭園を中心に隆盛した時期であった。(2)13世紀末期の第2期(1284~1289)は、西園寺家によって造営された北山第庭園が栄え、各種王朝の文芸を催す庭園環境が完備していた時期であった。(3)14世紀前半の第3期(1309~1331)は、鳥羽殿・亀山殿他の庭園が衰退していく中で、さらに栄華を極めたのが北山第庭園であった。しかし、西園寺公宗の謀反発覚により所領没収となり、王朝の文芸を先導していた後醍醐天皇も流罪となることで、物的・人的資産の両方を失ってしまう。そして第3期は、他でも利用していた庭園群すべてを失うことになった。(4)そして、夢窓入洛後の14世紀中頃の第4期(1344-1349)では、全盛期ほどではないが、光厳天皇らが西芳寺・天龍寺の禅宗庭園において、鎌倉後期から継続する王朝の文芸による庭園利用を行った時期であった。 (5)この公家の庭園利用の変遷に関する研究の結果,夢窓の入洛後,庭園様式に相違はあるものの,前時代の流れからの王朝の文芸による庭園利用が,この南北朝期から禅宗庭園において催されたものと考察した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成26年度は、夢窓疎石が入洛(1333)後に行った西芳寺再興(1339)と天龍寺創建(1345)の時期と、それまで公家(上皇・天皇ら)が利用していた庭園群の衰退を主因とする禅宗庭園への変移とが重なったこと、そして天龍寺が勅願寺となったこと等により、禅宗庭園に禅の在り方とは違った公家の王朝の文芸利用があったことを明確(学術論文としての発表)にできた。 以上の理由から、本研究全体も概ね順調に進捗していると考えており、禅林で関連する近接分野(美術史・仏教学等)の先行研究との流れとある程度統合できる可能性も見出せてきた。
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今後の研究の推進方策 |
平成25・26年度と得られてきた結果を基にして引き続き、平成27年度は更に14~15世紀における禅宗庭園の形成に影響を与えた夢窓疎石の庭園観に関する文献研究を継続し、総括する。そのために、(1)13世紀から14・15世紀への禅宗庭園の文化的視点に立った変遷に関する研究を纏めて、(2)入洛(1333)後の夢窓疎石の庭園史的位置づけの再考論拠を行う予定である。その結果を、(3)さらに関連する学会へ発表する予定を考えている。
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