本研究は仏像とならんで日本彫刻史上重要な位置を占めながら、独自の研究方法が確立しているとはいいがたい神像について、それぞれの神が持つ固有の伝承や信仰という物語を根拠に神の姿(神像)が造られたはずであるという視点に立って、表情や仕草を読み解き、姿にこめられた意味を探ることを目的とする。 平成28年度は神像彫刻の表現を考えるうえで欠くことのできない、異国風の姿をした神像についての研究を行った。神像彫刻の中には、服装や表情が日本のものではないと思われる表現のものがある。その表現に関わる伝承を伝える作品はなく、服装や表情から考察を加えるしかないが、中国や朝鮮半島のものではなく、おそらく特定のモデルがあったわけではないだろう。辺境地域をイメージしている可能性があるが、それらの地域の情報が正しく日本に伝えられたわけではないので、それも架空のものであろう。とはいえ全くの創作とは言い切れず、辺境の人の表現について中国所在の作品調査を行った。一つは陝西歴史博物館保管の墳墓壁画で、特に周辺国からの朝貢を描いた図について詳しく調べた(9月22~23日)。また、中国・故宮博物院で開催した特別展「梵天東土展」では、インドから中国に至る地域の作品を調査した。 異国風表現とは別に、神像表現の確立期の作品についても調査した。神像彫刻は8世紀半ば頃に成立したと考えられるが、初期作品は現存作品が残る9世紀の作品を見ると仏教彫刻の表現を多く取り入れたとみられる。9世紀末になると、衣の襞の単純化、脚部の奥行きを減じた身体表現といった神像独自の表現が成立していく。石川県珠洲市所在の白山神社 男神坐像は、神像表現成立期の優品であり、その調査(平成29年3月23日)を実施して今後の研究資料を作成した。
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