わが国の自然史科学は、江戸中期(18世紀)の博物学からはじまった。本研究はその先駆的時期に、幕府と御用絵師が動植物の収集と自然観察を行っていたことに着目した。奥絵師・探幽とその甥・常信は写生図「草花写生図」「草花魚貝虫類写生図巻」等を描いたが、幕府重臣や藩主、儒官などが動植物などの被写体を提供した。とくに探幽は稲葉正則と交友があり、ドドネウス著『草木誌』を実見した可能性がある。また常信は公家・近衛家煕と親交をもち、植物図譜の嚆矢「花木真写図巻」に影響を与えたと考えられる。常信の写生図は享保年間の全国産物帳へと展開した。また常信から家煕、渡辺始興、円山応挙へと写生図が発展していった。
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