研究課題/領域番号 |
25370170
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研究機関 | 琉球大学 |
研究代表者 |
与那覇 晶子 琉球大学, 学内共同利用施設等, 非常勤講師 (30412860)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 沖縄の文化表象 / ジュリ(遊女) / 辻遊郭 / 琉球芸能 / ジェンダー / 芸妓 / ジュリ馬 / 琉歌 |
研究実績の概要 |
2年目の研究成果は、2015年3月10日(旧廿日正月)、17時から21時、沖縄県立博物館・美術館三階講堂で開催した第二回のシンポジウム「沖縄芸能に見る芸妓の表象/表象されたジュリ」に集約される。1672年から終戦にいたる270年間琉球・沖縄に実在した「遊郭」の祭祀芸能の一つとして知られる「ジュリ馬」は旧廿日正月に執り行われてきた。その当初の明確な記録はなく推測の域にとどまっている。沖縄三線音楽研究家新城 亘は「せんする節からじゅり馬の誕生背景をみる」と題して「琉歌集」「組踊」「民俗芸能」で歌われている《せんする節》の詞音曲を丁寧に手繰り寄せ、遊行芸(京太郎)を祖とする系譜を図式化した。結論は比較的新しく1887年~1897年とした。ジュリ馬の起源に関しては諸説があるが、一石を投じた。基調講演の宜保栄治郎は「遊郭《辻》が支えた沖縄芸能」と題しこの間伏せられていた遊郭の女性による筝曲の継承を明らかにした。人間国宝照喜名朝一は「金細工」を唄いその背景を語った。また玉城流二代目家元玉城秀子と共に「川平節」を歌った。戦前から筝曲や舞踊の指南をした玉城盛重の人柄やジュリの弟子たち、また玉城盛義や新垣松含が辻で舞踊を指導したことを含め、盛義の一番弟子だった上間郁子に焦点を置いた。郁子の雑踊は戦前戦後を通して秀逸。「花風」を踊り、研究発表した比嘉いずみは実際のジュリの扮装と踊りの扮装との違いを説明しながら報告した。 ジェンダ-観点で沖縄芸能を見据えたとき、沖縄芸能史から抜け落ちていた遊郭、ジュリの芸能が浮かび上がってきた。通説を覆す発見もあり、詳細は報告書と論稿にまとめる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
シンポジウムでジュリの衣装と芸能《絵画・写真表象》の発表が頓挫したが、次回に何らかの成果を出せるようにしたい。近世において、紅衣人(アカジンチャー)とも称されたジュリが近代においては「琉球美人」の筆頭になる。現代も芸能の中で繰り返し再現されるジュリの表象に関して民謡歌手、舞踊家、芝居役者へのアンケートは実施できなかった。(実施する予定) 芸能に関しては民謡、舞踊、芝居ともに掘り下げられた。意外な成果は琉歌と古典音楽からこの間推測しなかった深い関係性が見えてきた。歌・三線、筝曲、舞踊が日常をハレの舞台とする遊郭で培われてきたことが史料やインタヴュー、作品そのものから如実になってきた。
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今後の研究の推進方策 |
女性芸能者としてのジュリ(芸妓)についてさらに深めると共に、琉歌、漢詩、詩、小説におけるジュリの表象を近世、近代、現代へと通史的に検証する。食と環境のテーマも掘り下げたい。 ジェンダ-&セクシュアリティー観点からの掘り下げも続けたい。移動と異文化接触に関しては上原栄子の著書と小説・戯曲・映像の『八月十五の茶屋』を再検証する必要がある。歴史の考察、経済システムや家族制度の中の遊郭、ジュリの実体についても掘り下げたい。 上記の課題に関しては研究協力者が必要。
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次年度使用額が生じた理由 |
以前のように全ての予算を年度内に使い切る必要がないので、余った分は最終年度に使い切るつもりで取り組んだ。
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次年度使用額の使用計画 |
アンケート関連経費、翻訳(仏語、漢語)の謝金、英語論文校正謝金などに付け加えて、最終年度ゆえに、朝から夕方までおよそ6時間のシンポジウムを企画する予定。会場で配布する報告書も100ページ以上を予定している。個人研究だが、多くの方々の協力で成り立っている。
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