セルバンテス(1547~1616)の1幕物に出てくる道化芸はロペ・デ・ルエダ(1509?~1565)がパソという1幕物に登場させた道化芸を引き継いでいる。セルバンテス自身、ロペ・デ・ルエダの舞台を見ているのだ。 16世紀後半から17世紀前半にかけての1世紀、スペイン演劇は黄金世紀を迎えるのだが、16世紀後半の一座では、例えばアロンソ・デ・シスネロ(1540?~97)のように、道化役者が座長を務めている。しかし、ロペ・デ・ベガ(1562~1635)の時代になると道化が主人公になる戯曲はなく、17世紀の座組をみていくと、座長を務めているのは立ち役である。つまり、戯曲の主人公を務める役者が座長になっている。このことはセリフ劇の成立を証明しているが、一座には必ず道化役者がいた。ロペ・デ・ベガの『フエンテ・オベフーナ』(1610年頃)に登場するメンゴは道化芸ではなく、小難しいセリフ回しで笑いを取っている。しかし、座長が務めた主役のフロンドソに次ぐ役柄があてがわれている。一座に道化役者がいるがゆえに作られた登場人物と言えるだろう。次世代のカルデロン・デ・ラ・バルカ(1600~81)の『人生は夢』(1635)の道化クラリンは登場人物に行動の指針を示すともに、ダジャレを飛ばして見事に笑いを誘うが、端役の宿命なのだろうか、大団円の前に鉄砲に当たってあっけなく死んでしまう。このように道化役の戯曲的役割の進歩は見られるが、体を張って笑いを取る道化芸は期待されなくなった。 芸からセリフへ、演劇史としては当然の流れといえるだろうが、ロペ・デ・ルエダの道化芸が演劇として成立した要素はどこにあったのか、スペイン演劇史に彼の道化芸を位置づけ、身体芸である道化芸は進化するのか普遍化するのか、その一例としてマラケシュ(モロッコ)のジャマ・エル・フナ広場で繰り広げられる大道芸を取材した。
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