本年は、ベルリンに先立ち、世界で二番目に設立された工芸博物館であるウィーンのオーストリア芸術産業博物館(現在のオーストリア応用芸術博物館、以下MAK)の設立経緯ならびに活動状況を調査し、それとベルリン工芸博物館の設立・活動との比較・検討に重点を置いた。 1863年に設置され、ハインリヒ・フォン・フェルステルの設計による博物館建物が1871年に竣工したMAKと、1867年に設置されマルティン・グロピウスの設計で博物館建物が1881年に竣工したベルリン工芸博物館は、立地・敷地条件の違いから前者が横長の長方形、後者がほぼ正方形と建物の形状は異なる。しかし中央にガラスの天井をもつ「光の中庭(Lichthof)」を置き、その吹き抜け空間を取り囲む形で展示室を配置し、さらには図書室や学校などの関連施設を組み込むという設計趣旨は共通する。また何よりも、「光の中庭」の天井やコーニスに張り巡らされた壁画やレリーフ、さらに外壁に設置された彫刻や同じくレリーフの装飾プログラムが、古今東西のクンストゲヴェルベ(Kunstgewerbe/工芸)の総合を象徴し、工芸博物館がそれを可視化する装置であることを示唆し、その意味で両者ともに極めて19世紀的な産物であることを確認した。 MAKはその建物を21世紀に引き継ぎ、建物それ自体をも展示品の一環と位置づけ、「MAK Design Labo」のような新たなコンセプトに基づくデザイン資料の展示を目指している。一方のベルリンの建物は第二次世界大戦で大きく破壊され長らく廃墟のままであったが、本建物設計者を大伯父に持つバウハウスの創始者ヴァルター・グロピウスの後押しもあり、残されていた図面や部材を元に建物は再建された。しかし戦後の東西ドイツ分裂を背景に工芸博物館としては再生されず、現在は連邦政府直轄の展覧会施設(マルティン・グロピウス・バウ)として使用されている。
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