本研究は,明治期において軍記文学が「文化」として,多様化した〈知〉と〈メディア〉を通していかなる展開を果たしたのか考究するものである。『平家物語』を中心対象とした。明治末年の館山漸之進『平家音楽史』,山田孝雄『平家物語考』が,明治期の研究の画期として位置づけられていたが,これらの前提となる状況が明らかにした。両者に共通するのは,福地桜痴が新聞紙上等で明治35年までに公表している平曲および『平家物語』に関する成果である。また,明治前期の「脱亜入欧」の文化思想的動向を超える『平家』の根強い享受層の存在は,一部の投稿雑誌(『文庫』の小島烏水)や市民による平曲継承の営み等に確認することができた。
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