本研究は、明治初年に西欧活版印刷術が導入されて以降、版面および書物を構成する諸要素が整備され、書物の標準的なフォーマットが確立するまでの過程を明らかにしようとするものである。(1)明治期に明朝体活字と平仮名活字とが組み合わせて用いられるようになったことで、江戸時代の板本の印刷書体が有していたジャンルや文体との関係が崩された。(2)句読点の使い分けが行われるようになったのは、外国語の翻訳や新たな書き言葉の模索など、言語そのものと向き合う最前線の場においてであった。(3)紙型は一般に活字印刷の弱点である原版の保存を補填するものと考えられているが、明治前半の活字印刷では異版を生成する装置でもあった。
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