泉鏡花のバックグラウンドとして彫金師の父泉清次がいかに関与し、影響を与えているかを解明した。まず、清次がウイーン万博に和泉政久の名前で「花器」を出品している可能性の高さと、ニュルンベルク金工博覧会に「香炉」などを出品していたことをつきとめた。ウイーン万博の「花器」は、謡曲で名高い「海士ノ玉採リ」を象嵌したものである。清次が輸出工芸時代に制作したものは、たしかな技術とジャポニスムが直結したものである。同時に、鏡花と能の結びつきは母方のみならず、父からの摂取もある。鏡花作品に父を源流とした職人や工芸品が多く登場しており、「模様」「デザイン」の面からの父の影響は大きい。まさに博覧会時代の所産である。
|