研究課題/領域番号 |
25370239
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
高橋 敏夫 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (20236300)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 大衆文学 / 時代小説 / 市井小説 / 藤沢周平 / 山本周五郎 |
研究実績の概要 |
本年度の研究では、1990年代初頭にはじまり現在にいたる「市井小説」ブームの、内実と意義を考察するのがテーマとなる。まず、ブームの全体を概観する。そのうえで、「市井小説」ブーム定着と発展において重要な役割をはたす藤沢周平(1927年~1997年)を、戦後に独特な市井小説を生み出し、その死にいたるまで名作を次々に送り出した山本周五郎(1903年~1967年)と比較検討する。 『藤沢周平全集』の刊行開始は1992年(同年は、バブル経済の大崩壊の年であるとともに、ポスト冷戦時代の入り口になった)。この生前全集刊行開始は今につづく「市井小説」ブームがはじまるのとほぼ同時だった。藤沢周平の、端正な文体でえがかれた静謐な世界には、権力や権威はもとより、富や安定から遠い、ごく普通の人々の、逆境の日々における喜怒哀楽のひとつ、ひとつがあざやかにうかびあがる。「市井小説」とならび歴史・時代小説の二大ジャンルというべき「武家小説」が死の積極的な選択に傾くのに対し、「市井小説」では日々の生の連続性こそが言祝がれる。藤沢周平の「市井小説」では特に生の連続性が際立つ。 「市井小説」のはじまりは、山本周五郎の『柳橋物語である。『柳橋物語』は、ときに大火や出水によって唐突な途切れがもたらされるにもかかわらず、すぐに修復されてつづく江戸下町の生活世界を舞台に、一七歳のおせんが幼馴染の職人庄吉と幸太の間に辿る数奇な半生の物語にして、逆境のきわみでの豊かな再生の物語である。戦中に精神主義的な「武家もの」である『日本婦道記』(一九四三年)を書いた山本周五郎が、生き急がずじっくり腰をすえ、町人の日々の生活にとりくもうと、敗戦の翌年の一九四六年に書きだした作品(刊行は一九五一年)である。 山本周五郎と藤沢周平の新旧市井小説を比較し、一九九〇年代の市井小説ブームの特色を取り出す。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
本年度の研究テーマである「市井小説」ブームの二大作家比較研究において、山本周五郎の作品の検討は進んだものの(とくに『柳橋物語』およびその後の市井小説については『別冊文芸』の「山本周五郎」の中で論じた)、藤沢周平における「市井小説」の誕生をめぐる研究がほとんど進まなかった。 研究が進まなかった理由は、藤沢周平没後に公表された最初期作品群の初出テキスト(1963年~1964年に発表)の多くを実際に手に取り確かめることができなかったことによる。最初期作品とみなされる15作品のうち「市井小説」研究に不可欠な5作品の初出テキスト入手を、多くの図書館で調査したものの発表雑誌が見つからなかった。文庫版『無用の隠密 藤沢周平未刊行短篇』および全集版『藤沢周平全集第二十六巻』に入ったテキストから論じることもできるが、生前藤沢周平が言及しなかった理由を含めて初出テキストにあたりたかったのである。 2017年の12月に刊行された『藤沢周平 遺された手帳』によって、1960年代に自身が「市井小説」に向いていることを記しているのが明らかになった。ますます1960年代に発表されたテキストの重要性がたかまったことになる。 山本周五郎と藤沢周平の「戦争」(アジア・太平洋戦争)とのかかわりを「序論」と位置付ける『時代小説の「戦争」』も、藤沢周平における「市井小説」の誕生の研究が遅れたので、刊行を先送りにせざるを得なかった。2019(平成30年)年度には研究の遅れを取り戻し、出版にこぎつけたく思う。
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今後の研究の推進方策 |
2017(平成29)年度の研究計画は、1990年代初頭にはじまる「市井小説」ブームの内実と意義を、山本周五郎と藤沢周平の比較研究によって考察することだったが、藤沢周平研究が進まず、研究計画をすべて満たすことができなかった。そこで2018年1月に保持事業期間延長承認申請書を提出、1年間の延長を認めていただいた。 今後は、2017年度の研究計画の遅れを取り戻すとともに、藤沢周平の最初期研究を1970年代初めのデビュー時の「負のロマン」作品群研究につなげていきたい。最初期作品の初出テキストを鶴岡の藤沢周平記念館ほかで探す。特に必要な5作品の初出誌が閲覧できない場合は、既に入手している初出テキストのみで可能な研究に限定し、藤沢周平における「市井小説」誕生に迫りたい。「浮世絵師」(1964年)と「溟い海」(1971年)の比較研究がその一つとなる。 山本周五郎と藤沢周平の比較研究だけではなく、2015年度から続けてきた、「歴史・時代小説ブーム」の戦後精神史」研究のまとめともなる『時代小説と「戦争」』刊行を実現したい。現代書館をはじめいくつかの出版社と交渉中である。
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次年度使用額が生じた理由 |
(次年度使用額が生じた理由)本年度は、本研究課題全体にかかわる松本清張論の書下ろし(集英社新書)が9月末までのびて、山本周五郎および藤沢周平研究を進める時間が不足、関係する新刊書の購入が減るとともに鶴岡への出張計画などが実現できなかったため、研究費使用が少なく次年度使用額が生じた。
(次年度使用計画)次年度すなわち2018年度には、出張の実現、出版のための人件費(原稿の整理、校閲および校正)などに使用したい。
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