主として長崎県立対馬歴史民俗資料館・宗家文庫蔵資料の調査を実施し、また学会・研究会での研究発表を4度行った。 神功皇后「三韓出兵」譚に関しては、「対馬に於ける神功皇后「三韓征伐」伝承の形成――往路の寺社縁起説を中心に――」(説話・伝承学会2015年度大会 2015年5月 京都女子大学東山キャンパス・京都府京都市)・「対馬に於ける神功皇后「三韓征伐」復路伝承の形成」(軍記・語り物研究会2015年度大会 2015年8月 東洋大学白山キャンパス・東京都文京区)にて、対馬島内の多くの神社が持つ神功皇后「三韓出兵」に纏わる縁起説が、前年度以前に明らかにした厳原八幡宮神社・海神神社同様に、中世にまで遡れるものではなく、総宮司職藤氏等、対馬府中藩内の知識人たちによる近世中期以降の新たな創作物であること、近世後末期に藩内に於ける対朝鮮王朝観の悪化を背景として、より多くの神社の縁起説が神功皇后「三韓出兵」との関連をより強める形で改編されていったことを明らかにし得たつもりである。なおそれぞれほぼ同題の論文を、それぞれの会の機関紙『説話・伝承学』24号(2016年3月)、『軍記と語り物』51号 (2016年3月)に投稿し掲載された。 その他、対馬府中藩内に伝わる応永の外寇・三浦の乱に纏わる言説についても考察し、研究発表を行った(「近世対馬に於ける三浦の乱を巡る言説と高崎神社縁起説」〈異域の会国際シンポジウム 2015年11月 青山学院大学青山キャンパス・東京都渋谷区〉、「対馬に於ける応永の外寇を巡る言説」〈関西軍記物語研究会第85回例会 2015年12月 大阪工業大学うめきたナレッジセンター・大阪府大阪市〉)。それぞれ対馬府中藩主宗氏の祖先の武勲を、既に病死していたはずの人物を活躍させる等歴史的事実を捻じ曲げてまで誇大に喧伝する様相を明らかにし得たつもりである。早期の論考化を目指したい。
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