主として長崎県立対馬歴史民俗資料館宗家文庫蔵本、対馬市教育委員会文化財課蔵藤氏文書の調査を毎年数回実施、また学会や研究会での研究発表も精力的に実施した。 その結果として、海神神社・大吉戸神社といった対馬の神社に纏わる神功皇后「三韓出兵」関連の縁起言説が、中世以前に遡れるものではなく、近世中期以降対馬藩内の知識人たちによって作成され、さらに貿易の不振等の要因による対朝鮮王朝観の悪化を背景として、近世後期により神功皇后「三韓出兵」との関わりの度合いを深めたものへと改編されたものであると結論付けた。応永の外寇・三浦の乱に纏わる縁起言説も、ほぼ同様の背景の下、生成し改編されていったものと思われる。
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