先に、「『前野村前野氏系図 巻二』と内藤東甫について‐東甫享年への疑義‐」(豊田高専研究紀要47 2015)によって、『張州雑志』の著者、内藤東甫が『武功夜話』を家伝記として持つ前野家に滞在したという『前野氏系図』の記述「元文二年」は、通説の内藤東甫の生没年からは納得しがたいので、通説の生年より二十年ほど遡るのではないかということの検証を試みた。その根拠としたのは、『前野村前野氏系図』以外に、西尾市岩瀬文庫所蔵の内藤東甫『手杵』、および名古屋市鶴舞中央図書館所蔵の中山和清『尾藩老談録』などの記述である。ところが、その後、生年を二十年ほどさかのぼる解釈では説明しにくい記録のあることが判明したので、新たな解釈が必要となった。 『武功夜話』成立にかかわる大きな問題と考え、検証した。その結果をまとめたのが、「『張州雑志』の著者、内藤東甫の足跡‐『前野村前野氏系図 巻二』との整合性‐」(豊田高専研究紀要49 2017)である。その際、横井也有、中西石樵(中西与一右衛門)、松平君山、人見キ[王偏に幾]邑など、近世中期の尾張藩の藩士であるとともに文人である人々の足跡を調べ、内藤東甫の交友関係を調べることによって、父子、または祖父と孫が「東甫」同号を使用した可能性を調べたが、決定的な証拠は見出すことができなかった。しかし調査の過程で、『張州雑志』が官命による調査であったこと、内藤東甫と中西石樵との交流、丹羽盤桓子と沢田眉山が同じ号を使用したことなど、新たな知見を得ることができた。
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