研究実績の概要 |
『翰林五鳳集』(以下、『五鳳集』と略す)は、元和九年(1623)に後水尾天皇(1596~1680)が以心崇伝(1569~1633)らに命じて、代表的な五山詩僧の詩偈を撰集、書写せしめた、五山文学唯一の勅撰漢詩集である。同集には禅僧の散佚作品が多数収められていることから、研究者からは特に注目されている。一方、伝本によって差異があるが、全64巻で収録作品数(16,000~17,000首)や作者数(200名弱)も膨大であり、その収集源や収集態度は、未だに判然としないところを残している。今回、絶海中津(1336~1405)の作品に注目して、如上の研究状況に一石を投じることを試みた。 結果、現在最も流布しており、唯一の翻刻本でもある大日本仏教全書本『五鳳集』巻第48に見られる、絶海の詩文集『蕉堅藁』に未収録の絶海詩三首は、『五鳳集』の清書本(原本)により近い形態を留めていると考えられる国会図書館 鶚軒文庫本を参照すると、詩の配列順序の違いから、残念ながら絶海の作品ではないことが判明した。『五鳳集』所収の絶海の作品に、彼の詩文集である『蕉堅藁』に未収録のものは見当たらず、『五鳳集』の収録作品は、絶海の場合、基本的に『蕉堅藁』が主な収集源であることが確認された。 また、『花上集鈔』所収の絶海、及びその門下生である鄂隠慧カツ・西胤俊承の詩や抄文を読解すると、以下のことが判明した。絶海は義堂周信に次いで第二位に位置付けられ、しかも11首(他者は大略10首、11~21)が採られている。絶海詩は典拠を用いた語が多く、それらを逐一指摘する抄文には、読者への配慮が感じられる。鄂隠の詩として採られる10首(74~83)は、典拠の引用は淡泊で、叙景詩が多い。西胤の詩の10首(84~93)も、典拠の指摘は少ないが、かといって叙景も不徹底のように見受けられる。
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