禅林の文学における「詩の総集」には、伝誦や口承により、作者名や題辞が曖昧な作品が含まれる。しかし、『翰林五鳳集』に収録される絶海中津の詩は、主な収集源が『蕉堅藁』に限られる。また、東福寺霊雲院蔵『花上集』の巻末には、義堂周信・万里集九らの艶詩とともに、絶海に仮託された詩群が見受けられる。これらの現象は、当時『蕉堅藁』がかなり流布しており、絶海が禅林の文学史上、(仮託されるほど)重要な位置にあったことを証していよう。 『花上集鈔』における絶海・鄂隠慧●・西胤俊承の詩や抄文を読解すると、彼らの典拠の使用状況が、絶海とその門流(霊松門派)の詩の特徴や本質を見出すきっかけになることが理解される。
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