歌舞伎の本質的な部分は、戯曲の内容ではなく演技・演出にある。ただこの方向からの研究は、資料の不足があって成果が乏しい。本研究は1630年代から1670年代の歌舞伎に主たる視点を置き、その前後をもふくめて演技・演出の実態解明を目指すものである。 本研究では今村久米之助、玉川千之丞という2人の女方の演技・演出について、文献・絵画・民俗芸能を資料として、その具体相を摘出した。今村久米之助は色白で小さな口という上品な容貌を生かし、高位の女性に扮し、ほおかぶりの道行などを得意とした。細く高い声による台詞が人気を博した。玉川千之丞は歌舞伎における嫉妬の演技を先駆的に開発した。具体的には能楽の般若面を素顔によって表現した。これは「すさまじい」と評される演技であった。彼の演技は鏡を利用して表情の工夫をするものであった。 また、歌舞伎の演技は、現代劇やテレビ・映画に見られるスタニスラフスキー・システムによってたつものではない。このシステムでは役者が登場人物と合一化しようとするが、歌舞伎では、役者は登場人物の中に没入し登場人物になりきろうとすることはしない。役者の身体を登場人物の身体に「見立てる」のが歌舞伎の演技であり、役者と登場人物は二重写しになる。現代の歌舞伎役者はこの「見立て」の演技を閑却し、没入型の演技をすることが多い。このことに対する警鐘を本研究では提出した。 さらに歌舞伎は現代の演劇のように、舞台と観客が画然と別れるものではなかった。成立期の頃から役者は観客席に下り、また観客席から登場し、舞台と観客は渾然一体となる「饗宴性」を有していた。褒め言葉というまるで現代の「オタ芸」のようなものが歌舞伎には先駆的にあった。現代の歌舞伎座で見られる観客からのかけ声がそれである。成立期の歌舞伎では役者と観客が入り乱れて踊るというフィナーレも存在したのである。
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