1890年頃にプロの料理家によるレシピを掲載するようになるまで、LHJのような大衆女性雑誌は、読者から送られてきたレシピを掲載した。小説やレシピブックという形態でなくとも、女性たちは日常的に書く習慣があったレシピを投稿することで、公的な場とつながり、他の読者と交流し、連帯感を強めた。自らの言葉で伝えようとする姿勢は、他者への共感力を養うことにもなった。読者による日常生活の一端を記した数多くのレシピは、同時代のアメリカ女性たちの生活の記録を映し出す。 読者のレシピの言説には、おもに3つの種類がある。第一に、友人に語りかけるかのような言葉を用いた言説。第二に、機械的に手順を記すだけのレシピ。第三に、同誌の誌面が読者同士の交流の媒体となっていたことを示す言説がある。個人の質問は全米の女性読者の目にふれ、回答が寄せられることとなった。また、無名の読者たちは、レシピの最後に自分の名を付すことで、書く行為への意識を高めることとなった。LHJは、読者の読む力のみならず、書く技術も修練させる場の役割を担っていた。 レシピの言説の背景には、安定した供給がえられるようになった食材の利用の仕方、食生活を継続させるための工夫、オーヴンやレンジなどの調理機材の変遷などの、日常生活を舞台とした歴史や文化が語られている。それは母から娘へと引き継がれてきた生活の知恵を映し出す。レシピを書く行為は、アメリカの食文化の定着過程に女性たちを関わらせることで、彼女たちの国民意識を高めることにもなった。 19世紀中ごろから世紀末に、愛国心を高揚させる大義を掲げて出版されていたLHJの誌面づくりに加わることで、無名の女性読者たちは、国民を食によって健康にしようとする同誌の大義を遂行していくこととなった。それは、国家をまとめる大きな勢力を生じさせ、愛国心を育成するという大義に彼女たちを加担させていたことを明らかにした。
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