研究課題/領域番号 |
25370264
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
大河内 昌 東北大学, 文学研究科, 教授 (60194114)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | ヒューム / 虚構 / 信用経済 / 啓蒙主義 / 小説の勃興 / 18世紀 / 経験論 / 必然論 |
研究概要 |
本研究は18世紀イギリスの哲学者・文人のデイヴィッド・ヒューム(David Hume)を出発点として、18世紀イギリスの文学と思想の言説をマッピングしようとする文学史的・思想史的なひとつの試みである。ヒュームの思想が現代においてもなお意味深いのは、彼が18世紀イギリスにおける商業的な近代市民社会の成立期においてすでに、「近代」がはらむ根本的な問題を的確にとらえ、分析していたからにほかならない。18世紀イギリスにおいては、資本主義とその根幹をなす「信用経済」がある程度成立していた。それは、単に経済の分野のみならず、文学や文化のパラダイムを大きく変化させていたのである。信用経済で問題となるのは、リアルな実体を離れた表象としての「価値」が、あたかもリアルなものであるかのように機能するメカニズムである。そして、そのメカニズムの分析論を提示したのがヒュームである。本研究はまずヒュームの思想を「表象」という観点から分析し、彼が描く商業的市民社会がひとつの表象空間として理解できることを論じ、また、その表象空間の構造をあきらかにする。その後で、ヒュームと同時代あるいは彼以降の作家たちのテクストを精読する。そのさい、ヒュームの思想から抽出した表象空間に関する思想を、ひとつの座標軸として用いる。そして、ヒュームの表象空間論を、同時代の文化を読み解くさいの母型(マトリックス)として用いることで、多くの文化的事象を有効に説明できるようになるはずである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成25年度において、本研究はヒューム思想の根幹をなす「必然性」の概念に焦点を当て、ヒュームの特徴を明確にするために、同じように必然性を主張したゴドウィン(William Godwin)とヒュームを比較した。そもそも、そもそも彼らが考察の対象とするのは物理的な外的世界ではなく、人間が印象や観念として受け取るそれらに関する情報である。それらは人間の心の中に生じる表象である。日常世界の中で人間の行動を決定する因果関係に関する推論も、そうした表象を対象としている。しかし、表象としての印象や観念(あるいはそれをつなぐ因果関係)は個人的なものではなく、社会的なものであるということである。重要なことは、ヒュームにとって必然性と、は内的な印象もしくは反省の印象であり、対象の中にあるもではなく、観察者の心の中にしかない。しかし、ゴドウィンや、ハートリー(David Hartley)、プリーストリー(Joseph Priestley)といった18世紀後半の啓蒙思想家たちは、必然性の概念を現実世界に実在するものであると考え、進化論的な文明観を提示した。こうした必然論が進歩思想と単純に結びつくのは、こうした思想家たちが必然論を物質的な現実に単純に当てはめたことに由来する。因果的な必然をあくまで表象世界にとどめたヒュームの理論ははるかに洗練されたものである。ヒュームの哲学は、表象と現実の混同の不可避性とともにその危険性をも注意深く分析するという意味で「イデオロギー」の分析理論であるが、ゴドウィンの思想は表象と現実を混同するという意味でたんなる「イデオロギー」である。25年度はヒュームの思想の先進性と、18世紀イギリスのいわゆる進歩的啓蒙思想の限界を明らかにした。
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今後の研究の推進方策 |
平成26年度において、本研究はイギリス小説の問題に目を向ける。18世紀イギリス文学の一大特徴は小説というジャンルの形成である。小説の勃興はワット(Ian Watt)以来、中産階級の勃興とそのイデオロギーである個人主義の流布と関係づけられて論じられてきた。また、個人主義の勃興と近代的資本主義の勃興が不測不利の関係であることも、すでに指摘されている。そして、資本主義経済の問題と表象の問題が交錯するのがまさに小説と言うジャンルなのである。デフォー(Daniel Defoe)の『ロビンソン・クルーソ』をはじめとして、18世紀イギリス小説の主要テーマが資本主義的経済活動であることは、古くから指摘されてきた。近代的資本主義を特徴付けるのが「信用」と「虚構」のメカニズムであり、その問題を精緻に理論化したのがヒュームである。ヒュームによれば、人間は直接的に現実世界を知ることはできない。人間は感覚器官を通して外的対象から印象や観念を受け取るが、それらの印象や観念は外的対象を心の中に写し取ったものであり、いわばコピーである。ヒュームが企てたのは、観念や印象という「写し取られたもの」によって構成される心的な世界の解明であり、そうした意味で、それは表象空間の分析にほかならないのである。18世紀における小説の成立と成熟の過程を解明するためにも、また、ヒュームの虚構理論を理解するためにも、ヒュームが描いた表象空間とリアリズム小説の物語空間の類縁性を指摘することが重要となる。この議論は、いわば小説の構造的起源を探る試みとなるであろう。
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次年度の研究費の使用計画 |
25年度に注文した物品(書籍)の一部の入荷が遅れたため予算に残額が生じた。 25年度に生じた基金の残金は、遅れて26年度に入荷した物品(書籍)の購入費用に充てる。
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