先立つ2年間の考察においては、おもにローマ劇(なかんずく『コリオレイナス』と『アントニーとクレオパトラ』の改作との比較研究を通じて、(1)父権的超越性(transcendence)と呼応した歴史的内在性(immanence)の特性と限界を確認するとともに、(2)それに連動した母権的内在性(immanence)=「月下圏的自然」と呼応した前近代的政体の運命を論じた。シェイクスピアの解釈と受容に係る「近代論」という文脈では、上記(1)の考察は「近代論」のごく常套的ななぞりといわねばならないが、シェイクスピアの所謂「歴史劇」の地平を考慮するとき、問題は新たな光の下に姿を現すだけでなく、さらに(2)の考察と連動させるならば、近代における根源的な前近代的価値の残滓という、焦眉の国際的な課題に通じる。 進化論的宗教学、歴史哲学、文明史の分野で近年論議を呼んでいる「枢軸時代」(the Axial Age)ーー人類史のなかで大宗教が創出された(すなわち超越transcendenceと内在immanenceの認識が誕生した)紀元前一千年の期間ーー研究を加味して考察を広げるならば、日本の「近代論」およびシェイクスピア受容の問題を、より緻密に検討しうる可能性がある。
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