本研究はF.V.ディキンズに関する初の評伝をまとめることを最終目的としている。これまでの伝記調査で空白となっている部分について調査を進め、全体像の構築に務めている。 初年度は、1877年から1882年までの動向について、初来日以来の友人アーネスト・サトウの日記やディキンズ宛書簡、日本アジア協会会報、England Censusなどを調査した。その結果、サトウの『日本旅行日記』へのディキンズの大きな貢献、離日後の足取りなどが明らかになったほか、ディキンズの家族構成も判明した。 二年目はディキンズの晩年を追った。ロンドン大学事務局長を定年退職後、ディキンズはウィルトシャー州シーンドに隠居し日本研究を本格化させた。この15年間に日本の中世古典文学の翻訳を完成した。現地取材によって屋敷や墓地の確認、死亡記事などを収集し、評伝のための情報を収集した。また、浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の翻訳を検討し、彼の学術的な研究方法を検証した。 最終年度ではディキンズの横浜での弁護士活動を中心に調査した。彼が弁護を務めたペルー船籍の苦力運搬船マリア・ルス号裁判について、二本の論文をまとめた。一本目は横浜居留地でこの事件がどのように報道されたかをJapan Weekly Mailを中心に追い、居留地での国際関係、苦力貿易廃止の世界世論、日本の対応など時代背景を明らかにした。二本目は国際法に知悉したディキンズの弁論が、初めての国際裁判を主催した日本政府によっていかに強敵であったかを示した。 3年の研究期間中の2年間は校務が多忙を極め、十分な研究時間を確保できなかった。評伝の空白地帯は埋まってきているが、断片的な研究をつないで全体像を仕上げるには、なお時間を要する状態である。次期の研究期間には、ディキンズの日本文学の翻訳を中心に論じて、総仕上げをする予定である。
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