研究課題/領域番号 |
25370294
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 名古屋市立大学 |
研究代表者 |
田中 敬子 名古屋市立大学, 人文社会系研究科, 教授 (70197440)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | ポストモダン / マイノリティ / 語り / 父権制 / 世界性 |
研究概要 |
平成25年度は、中上健次の中期の小説を中心に、フォークナーの影響を分析した。最初に中上の初期小説が大江健三郎の小説から受けた影響をふまえ、大江と中上の文学的立場の基本を述べたうえで、故郷の共同体と国家、さらに世界の関係について、中上とフォークナーの共通点を見出した。また被支配者層であった中上が、伝統的日本文学への挑戦として意識した語りと、南部の支配者層に近かったフォークナーが南部父権社会の伝統的な語りを乗り越えて編み出した語りの相違点についても着目した。 具体的には中上の『千年の愉楽』、秋幸3部作及び『奇蹟』にみられる伝統的な日本の語りへの挑戦と、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』に関する中上の言及の意味について考察した。その結果、中上がフォークナーを超えるポストモダンな語り、小説を目指すために、フォークナーから受けた恩恵を認めつつ他方で彼の主要小説をパロディ化し、フォークナーの語りを超えようとしたことを証明した。『アブサロム、アブサロム!』では南部父権制社会の権威、非人間性が語り手によって糾弾されながら、非難する相手の強大さ、絶対性がかえって浮き彫りになる。中上はそれを避けるために、パロディ化と、物語が論理的な結末へ向かうことなく漂流し、拡散する方向性をとった。それはフォークナーのテクストにもみられ、『アブサロム、アブサロム!』についても中上を経由して再考すると、新たな解釈が可能である。さらに、フォークナーから半世紀近くたって世に出た中上には、伝統的物語への警戒と語りの解体への自覚が非常に明確になっていること、そこにフォークナーから中上への文学的遺産の継承と発展があり、フォークナー文学の世界性が認められることを結論とした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
中上とフォークナーについてかなり詳細な比較分析と総括を行うことができた。もう一人の比較の対象である大江健三郎については、中上が初期小説においてどのように大江を意識していたかを考察している。この中上と大江との比較はまだ初期段階であるが、フォークナーが示唆するモダニズムからの脱却をヒントに、中上が目指したポストモダン性と大江のポストモダン性の違いが明らかにできるという見通しがたった。また父権制社会や父性についての中上と大江の立ち位置の違いを明らかにすることにより、大江と中上のフォークナーとの距離、二人の文学におけるフォークナーの影響のありかた、フィクションについての考え方も明らかにできるという確かな展望を得た。
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今後の研究の推進方策 |
来年度は、フォークナーが1955年に来日して文化大使的な役割を果たした意義について総括するとともに、フォークナーの日本での受容を第2次世界大戦以前から来日時にわたって跡付け、その後の日本におけるフォークナー研究の発展を検証する。すでにフォークナー作品の翻訳について第2次世界大戦後の日本の状況を資料調査しているが、これはまだ時間が必要である。これらの資料によって、アメリカ政府のソフトパワー戦略としてのアメリカ文学、アメリカ文学研究について考察したい。そこでフォークナーが国家と個人、さらに文学上の地方共同体について考えていたことと、フォークナーや彼の作品が、アメリカ合衆国政府の政策や日本のアメリカ文学研究の中で実際にどのように活用されてきたのかを解明する。さらにその問題に対して中上や大江がどれだけ敏感であったか検討し、各作家がそれに対して文学的にどのような対策を講じようとしていたか、考察する。
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