研究課題/領域番号 |
25370296
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研究機関 | 大阪市立大学 |
研究代表者 |
田中 孝信 大阪市立大学, 大学院文学研究科, 教授 (20171770)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 19世紀英文学 / ジャーナリズム / イーストエンド / スラミング / 浮浪児 / エリート男性 / 博愛主義 / 偽善 |
研究実績の概要 |
19世紀イギリスの文学とジャーナリズムに見られるイーストエンドの表象を探るにあたって本年度は、前年度に続き、ストライキや「切り裂きジャック」事件等の影響で大きく新聞雑誌に取り上げられ、多くのスラム・フィクションが執筆された80-90年代を中心に、その時期を挟んだ19世紀中期と20世紀初頭をも研究対象とした。そして、ディケンズの『荒涼館』の道路掃き少年ジョーのような浮浪児に対して、中・上流階級から成る中心世界がどういった心的態度を取ったのかを探っていった。彼らが、浮浪児に対して憐れみと恐怖を抱いていたのは間違いない。しかし、浮浪児に対する別の感情も見て取れるのではないだろうか。その問いを解明するために、憐れみと恐怖の対象としてのロンドンの貧しい子ども像を様々なテクストや写真や絵画に探った上で、その範疇に収まらない眼差しを、世紀末イーストエンドでセツルメント活動に従事するエリート男性たちとその地区の少年たちとの係わりの中に見ていった。結果として言えるのは、中心世界は子どもたちを「異質なもの」として眺めていたということだ。それは、現実を必ずしも直視しない、利己主義と利他主義が綯い交ぜになった勝手な捉え方と言える。エリート男性が少年たちとの間に求めた友愛生活の裏面には利己的な性的感情すら読み取れる。要するに子どもたちに対する眼差しには、見る側の願望や欲求が投影されるのであって、それが子どもを貧困や無知から救済するという効果をもたらしたのは事実だとしても、一方で、無償と見えても、無私を装うものほど自己愛の満足に過ぎないという疑念はぬぐえない。利他主義に基づく博愛行為の背後には、程度の差こそあれ、利己主義に根差した偽善が蠢いているのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
所属研究機関の校務多忙のため、80-90年代のイーストエンドを舞台としたスラム小説を数多く読み解き、それらに見られるその地区への眼差しを分類・精査することが十分にはできなかった。しかしながら、イーストエンドを中心としたロンドンの貧困地区の浮浪児問題を、中・上流階級の慈善活動の背後に潜む利己主義の観点から分析することができた。また、夏季休暇中に訪れたロンドンの貧民学校博物館でバーナード・ホームの機関紙『夜と昼』の貴重な現物を閲覧する機会に恵まれ、今後の研究のために有益な知見を得ることができた。
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今後の研究の推進方策 |
今年度は、マーガレット・ハークネスが中産階級の独身女性作家として、彼女のスラム小説において、階級対立のみならずジェンダーの観点から、労働者階級の女性をどのように描き出し、何を訴えようとしているのかを探っていく。同時に、世紀末のコスモポリタン化したイーストエンドの様相を、トマス・バークのスラム小説を題材に、中国人男性と白人女性との性的関係から捉えていく予定である。また、最終年度にあたるため、中心世界のイーストエンドに対する複雑で矛盾した眼差しを整理し、前者にとって後者の持つ意味を結論として導き出していく。
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