研究最終年度の平成28年度には、成果論文の作成のために、以下の作業を行った。即ち、〈女の悲劇〉の精読により、観客の「憐れみ」を最大限得るためにどのような工夫を劇作家たちがしているかを整理し、また、演技理論による感情の視覚化の議論を、初演時の1680年代から1710年代と再演時の1750年代とで比較した。具体的には、〈女の悲劇〉と総称されるテクスト群で、それぞれ細かな違いはあれども、基本的には「自らのセクシュアリティが原因で苦境に陥る」女性たちを描くという点では共通していることを確認し、演技理論においても、「俳優の内面に宿る感情を可視化する」のが、時代を経ても演技術の根本にあることを確認した。 ただし、研究開始時に狙っていた、1710年代のShaftesburyのCharacteristics of Menなどにおける道徳観、1750年代のAdam SmithのThe Theory of Moral Sentimentなどにおける道徳思想と、演技理論や〈女の悲劇〉が目指した感情の共有という企図との影響関係を十分に論じるところまでは至らなかったために、最終成果報告論文の発表は断念した。その理由は、道徳哲学の企図と〈女の悲劇〉が立脚しているセンチメンタリズムの言説は共通点を持つものの、両者の間に直接的な影響関係を主張することが難しかった点にある。両者を繋ぐインターテクストとして、さまざまな可能性、例えばThomas Willsの神経生理学の言説ー神経の振動が体内で情念の伝達を助けるーと、演技理論ー俳優と観客が同じ情念を共有することで〈感動〉が共有されるーなどとの関連を調査してみたが、あまりに膨大な資料を十分に渉猟することができなかった。情念に関する言説と、医学言説やキリスト教言説との接点が多く確認できたので、少し時間をかけて精査した後に最終成果論文を発表したい。
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