平成27年度は、平成26年度の研究の遅れを少しでも取り戻すべく、まずテネシー・ウィリアムズの作品の考察と同時進行的にリリアン・ヘルマンの戦争劇の考察を行った。ヘルマンの戦争劇は、戦争という極めて男性中心主義的とならざるを得ない主題を女性の視点から描いたという点、そしてアメリカの第二次世界大戦参戦前夜に上演され高い評価を得たという点において改めて考察する価値のある作品である。ヘルマンの劇が当時の観客や批評家から高い評価を得たのは、それがその当時としては「参戦」を促す劇として捉えられ、アメリカの参戦への機運に一役買ったからであろうと思われる。しかし、現代の視点での再読を試みるとき、その解釈は幾分単純化が過ぎるように思われる。特に、ヘルマンがこの劇の中心に父息子ではなく母娘を据えたことが、この劇の放つメッセージ性に複雑な屈折を与えているように思われる。ヘルマンはこの劇に於いて「戦争の崇高な意図」に対する信念を共有する父息子を背景に、一見戦争とは関係のないところで反発し合う母娘を話の中心に据えている。特に家庭に於ける母親の独裁的な力に対する娘の反抗は、いったい何を意味しているのだろうか。初演当時は父息子の強固な絆と盲目的とも思える主従関係が観客にアピールしたであろうと考えられるが、現代の視点ではむしろ母娘間の対立こそがこの劇の重要な特徴であるように思われる。ヘルマン作品の考察は女性と戦争との関係の複雑さについて多くの示唆を与えてくれると同時に、戦争時に於ける観客側の解釈と作者側の意図の(不)一致について多くの貴重な示唆を与えてくれるように思われる。 ヘルマン研究と同時にウィリアムズのドラマツルギーplastic theaterと倫理的呼びかけについての考察も平成26年度から引き続き行った。
|