研究課題/領域番号 |
25370309
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研究機関 | 帝京大学 |
研究代表者 |
大野 雅子 帝京大学, 外国語学部, 教授 (80233229)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 英文学 / 18世紀 / 女性 / 陶磁器 / Alexander Pope / The Rape of the Lock / Ambrose Philips / 女性蔑視 |
研究実績の概要 |
1712年に出版されたAmbrose Philips の “A Lady Transformed into a Tea-Pot”という詩では、神々さえも魅了する魅力的な地上の女性に嫉妬した女神たちが彼女をティーポットに変身させる。1712年はAlexander Popeの “The Rape of the Lock”が出版された年でもあった。Popeの詩の中の「憂鬱の洞穴」という場面においても「歩くティーポット」が登場する。H26年度の目的は、当時ライバル関係にあった二人の詩人が同じようにティーポットをイメージとして用いたことにはどのような意味があるのかを考察することであった。Philipsの詩で注目すべきなのは、女性の舌が変身するプロセスが入念に描かれていることである。舌は諺的表現においてlooseであると言われる。looseな舌をもった女性はおしゃべりであるのみならず性的に放縦であると当時考えられた。女性はティーポットに変身することによってもはやその舌を自由に使うことができない。彼女の身体は閉じられたのだ。Popeのティーポットは、髪を切り取られたBelindaの心象風景でもある「憂鬱の洞穴」に現れるが、これに関して注目した論文は少ない。ティーポットはBelindaの性的欲望の表れであり、ティーポットに変身したBelindaの身体はPhilipsの詩の女性と同様に閉じられたのだ。Belindaは家父長制の中の受身的女性として生きて行く運命を与えられたのである。女性を陶磁器にたとえる伝統は聖書に始まったものだ。それ以降様々な文学作品において、女性の身体との相似性によって、陶磁器は女性の道徳的脆さと性的放縦さを表す象徴的イメージとして用いられてきた。それは、女性蔑視の伝統における重要なイメージとして機能したのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初の予定では、「陶磁器としての女性」と陶磁器を収集する女性」のふたつの側面の両方を考察し、「陶磁器のように欲望される女性」は「陶磁器を欲望する女性」と一致することを証明する予定であった。前者を研究するにあたって、Alexander Popeの “The Rape of the Lock”を取り上げたが、先行研究が非常に多いこと、ヒロインのBelindaのsexualityの描写が曖昧であり、いろいろな解釈が可能であることなどの理由から、時間がかかると同時に、論文でもかなりのページを割くことになった。髪を盗まれるBelindaは受身的な被害者なのか、それともその犯罪を自ら呼び寄せた加害者でもあるのか、両方の解釈が可能である。後者の解釈を論証するためには詩のイメージの詳細な分析が必要であった。そのため、「陶磁器を欲望する女性」の方まで行くことができなかった。このふたつのテーマは表裏一体であり、欲望の主体と欲望の対象が同一であること、すなわち、女性は自己を欲望するのだということを論証しきれなかった。
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今後の研究の推進方策 |
17世紀後半から18世紀前半に上演された劇作品には、贅沢好きな女性、陶磁器好きな女性、または性欲の激しい女性がしばしば登場する。William WycherleyのThe Country Wife (1675)、John Fordの’Tis Pity She’s a Whore (1633)、Mary PixのThe Innocent Mistress (1697)、Susanna CentlivreのThe Busybody (1709)などである。また、詩人では、The Earl of Rochester, John Gay, Jonathan Swiftなども陶磁器に夢中になる女性を皮肉なタッチで描いている。女性の欲望の対象としての陶磁器とは何を意味しているのか、その象徴性を検証することが1つ目の計画である。2つ目は、カントリーハウスにおける陶磁器のコレクションについて調査することである。文学作品の中では皮肉られる女性の陶磁器好きは、実際の生活の場面では揶揄されるものではなかった。むしろ女主人の洗練された趣味を物語る証拠として現在でもそのエピソードが語り継がれている。いくつかのカントリーハウスを調査することによって、陶磁器コレクションの「女性性」について検討する予定である。
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