当該年度は、以下のような研究成果が得られた。 前年度までと同様、本研究の起点ならびに基調である概念的読み替え――「自由」という人権に関わる問題を「自己に対する所有権」の問題として捉え直す――を用いて、本研究にとって核心的といえる次の問題の考察に取り組んだ。即ち、ディケンズは人道的な見地から長年文筆ならびに慈善活動を通じて社会改良に取り組んだ作家だが、1840年代から60年代末にかけて彼の(米国)黒人に対する態度は、その博愛主義的な名声に似つかわしくない変節を見せているように思われる。その変化はどのようにして生じたのか、という問いである。 その「変節」とは次のようなものである。第一次訪米直後に出版された『アメリカ紀行』(1842)では、米国南部のメディアに見られる黒人奴隷への暴力の表象に激昂していた彼が、第二次訪米(1867-68)中には、友人宛ての書簡の中で〈黒人は明らかに知性の劣った存在であり、彼らに選挙権を与えるなど愚の骨頂である〉という内容の紛れもなく人種主義的な私見を述べているのである。 狭義の作家研究の範囲ではディケンズの人種観を正面から扱った先行研究が乏しいため、当該年度においては、文学研究文献を離れて、ヴィクトリア朝や米国南北戦争に関する資(史)料を通じ、1850年代から南北戦争を挟んだ60年代にかけてヴィクトリア朝人の人種観――特に黒人(奴隷)観――がどのように変遷したかを調査・考察した。 その結果、1850年代の進化論的人種観の台頭、植民地経営での失敗を経て、1860年代のヴィクトリア朝社会は、下層階級ならびに異人種に対する態度を硬化させており(彼らは敬意をもって遇するに足る資質を有していないと見なされた)、ディケンズの「変節」の実態はその同時代的変化をそのまま反復していたものだったと分かった。 この成果については今後論考の形で発表したい。
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