昨年度の研究を二本の論文にまとめた。 『1800年前後のドッペルゲンガーモチーフについて(第III報) ─ハインリヒ・フォン・クライスト『アンフィトリオン』─』では、前年度に発表した『双子座と幻影』を受けて、ドッペルゲンガーが誰に現れるのか、という観点から、クライストのドラマを分析した。アンフィトリオンとユピターはドッペルゲンガーとして、第三者のアルクメーネに現れるが、それが伝統的な取り違え劇にならないのは、アンフィトリオンのアイデンティティへの問いかけが、そのままアルクメーネ自身への問いになっている点にある。一方に、『ジーベンケース』第一版(1796)の場合のように、相互の存在を確信しているドッペルゲンガーがあり、もう一方に、E・T・Aホフマン『悪魔の霊液』(1815/16)の場合のように、自己の幻影としてのドッペルゲンガーがあるとすれば、『アンフィトリオン』(1807: 執筆は1803)はその中間に位置する。 『ドッペルゲンガーとエーテル身体 ―ジャン・パウルの二つの身体イメージをめぐって―』では、ドッペルゲンガーの身体という観点から、『ジーベンケース』第二版におけるドッペルゲンガーの変容を再検討した。晩年の加筆において、自我としてのドッペルゲンガーが出現する背景には、ドイツ観念論、あるいは、ロマン派からの影響とならんで、同時代の生理学の発展がある。四体液説が最終的に斥けられ、精神と身体を結ぶ要素として、神経を介した情報伝達が注目されるようになる。エーテル身体、磁気術といったイメージとともに、非物質化した身体イメージが自我概念に重ねられていった。
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