18世紀フランスにおいて国家の価値は、道徳的な価値判断の規準を示す「習俗(moeurs)」と美的な価値判断の基準である「趣味(gout)」によって規定されると考えられていた。18世紀フランスにおいて「女性的な文化」が批判の対象となっていたのは、習俗と趣味に腐敗、もしくは堕落をもたらすのは女性であるとされていたからである。今年度は、この18世紀フランスに固有の女性批判に対して、モンテスキューとルソーの作品を中心に分析することによって考察した。 モンテスキューは『法の精神』において、君主制の国家には古典古代に求められた徳が存在せず、習俗が堕落していると論じており、この習俗の堕落を導く主因を女性としている。このモンテスキューによるミソジニーは旧来の前近代的なものであるが、その後も『百科全書』の項目「習俗」に酷似の記述が見られるなど、強い影響を保ち続ける。 他方、ルソーが『エミール』、『エミールとソフィー』において描出する女性は、男性よりも生まれつき優れた存在であるにもかかわらず、市民として政治に参加することを認められず、男性の欲望の対象になり、市民となる男性を産み育てることのみを任じられる。ルソーの求める女性像は、「近代のパラドックス」をそのまま浮かび上がらせるものなのである。 18世紀フランスにおける女性的な文化に対する批判と男性的な価値の称揚は、修辞学の理論や文学理論そのものにも一種のジェンダー的イデオロギーを表出させることになる。文学理論においては、それまで肯定的な価値を付与されていた「都市的な洗練urbanite」が否定されるようになる一方、ボワローが崇高論序文で称賛したコルネイユの詩句が崇高として男性性とナショナリズムの称揚に用いられるようになる。 本年度は18世紀フランスにおける習俗と作法書に関して招待講演、国際学会報告を含む4回の研究発表をおこない、論文を2本執筆した。
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