平成25年度の研究実施計画では、報告者は、李商隠の「碧城」三首についての研究から取りかかるとしていた。その計画通り、「碧城」三首を含む李商隠の詩全般、また散文を含む李商隠の作品全般を検討し、「聖女」・「中元」と「錦瑟」・「碧城」ー李商隠と茅山派道教ーと題する論文を執筆した。この論文は日本道教学会の機関誌『東方宗教』に掲載される予定である。この論文の結語で報告者は次のように述べた。「筆者はかつて梁の陶弘景によって大成された茅山派道教の特質を優美で幻想的であると指摘したことがある。陶弘景の編述になる聖典である『真誥』の幻想的で優美な世界が茅山派道教のこの特質の中核を形成していたことは云うまでもない。そして、文学の世界では、晩唐の李商隠の詩を待ってこの茅山派道教の特質が最も露わとなったのではないかと思われる。高橋和巳氏が道教を「夢幻」と規定される(『詩人の運命』)こともこのことと無縁ではないであろう」「周知の通り、宋初には李商隠の詩風が模倣され、西崑体と呼ばれて一世を風靡した。西崑派の領袖である楊億は、「義山為文、多簡閲書冊、左右鱗次、号獺祭魚」(『談苑』)と述べている。李商隠の詩は様々な典籍による知識の織りなす交錯の文学と云えよう。李商隠の最も印象的な作品の一つである「碧城」の典故を辿って、覚えず晩唐から宋初の上清經の在り方についての考察にまで及んだ」と。この論文で報告者は、「碧城」の典故となった上清関係の経典の名を特定しているが、それは論文公刊の際に明らかとなるであろう。このように李商隠に関する研究は順調に実績を挙げることができたと言える。
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