研究課題/領域番号 |
25370397
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研究機関 | 信州大学 |
研究代表者 |
氏岡 真士 信州大学, 学術研究院人文科学系, 准教授 (60303484)
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研究分担者 |
閻 小妹 信州大学, 学術研究院総合人間科学系, 教授 (70213585)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 水滸伝 / 陳枚 / 花鏡 / 李漁 / 王望如 / 周亮工 / 鄭喬林 / 嵌図本 |
研究実績の概要 |
明末清初の金聖歎(1607?~1661)による七十回本が出現すると、『水滸伝』の他の諸本は駆逐されたと一般には理解されているようだが、実際はそんなに単純ではない。七十回本の存在が大きく見えるのは、清末の石版印刷によるテキスト(石印本)がもっぱら七十回本を取り上げたからだと考えられ、また近代の『水滸伝』研究がそのような通行本から着手されたことも影響している。しかしそこに至る過程においては、七十回本とそれ以外の諸本との角逐が続いていたのである。 七十回本以外のテキスト、とくにいわゆる簡本系統のそれは、しばしば陳枚の序を巻頭に掲げる。その意味する所は大きい。序の紀年は乾隆丙午(1736)、乾隆丙辰(1786)、嘉慶已巳(1809)など一定しないが、実際には彼の生卒年は遥かに早く明の崇禎十一年(1638)から清の康熙四十六年(1708)であったと考証される。彼の父は園芸書として名高い『花鏡』を著した陳淏子であり、彼ら親子は杭州にあって在野の知識人として江南の出版界に大きな影響力を有していた。父の陳淏子は、かの李笠翁こと李漁(1611~1680)の盟友であり、息子の陳枚は、有能な編集者かつ詩文の選評家として多くの書物を世に残している。そして李漁やその娘婿沈心友、あるいは王望如や周亮工といった実力者たちとも交流があった。陳枚の序は紀年を改竄されつつ後世のテキストに受け継がれており、それは彼のいわばブランドイメージが如何に大きかったかを物語るであろう。実際、陳枚の序をもつ八巻本『水滸伝』は20世紀の初め光緒寅壬(=壬寅、1902)まで版を重ねていたことが確認できる。 要するに清代における『水滸伝』の出版競争の存在を象徴する人物が陳枚なのであり、彼について具体的に明らかにできたことは本年度の大きな成果である。なお他にも諸テキストを調査し多くの知見を得ている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上記の概要に紙幅を割いて紹介したように、陳枚に関する研究をまとめて発表することができた。また他にも多くのテキストを調査し、数々の知見を得ており、そのうち鄭喬林が編んだ嵌図本に関する分析結果は、すでに公表されている。他にも複数の論考が投稿済みで、編集の進捗を待っている。
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今後の研究の推進方策 |
上記のように清印本『水滸伝』における陳枚の存在の大きさが明らかになった今、改めて金聖歎の七十回本について考えてみる必要がある。 七十回本と一口に言っても、実際には原本(貫華堂本)や酔耕堂本、雍正序本、石印本などに大別されるし、それぞれがさらに複数のバージョンを持つと考えられる。それらの具体的な関係を跡づけたうえで、七十回本以外の諸本との対照によって清印本『水滸伝』出版の実態を明らかにしてゆくことが、今後の研究の推進方策であると言えよう。
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次年度使用額が生じた理由 |
当初の見込みよりも安価な研究遂行ができたため。
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次年度使用額の使用計画 |
次年度使用額は2015年度請求額とあわせて資料代の一部に充当する。
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