研究課題/領域番号 |
25370407
|
研究機関 | 日本女子大学 |
研究代表者 |
平石 淑子 日本女子大学, 文学部, 教授 (90307132)
|
研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
|
キーワード | 中国東北地区 / 中国近現代文学 / 白話小説 |
研究実績の概要 |
本研究は「満洲国」以前の東北に於ける文化状況を調査し考察するものである。当該地域は本来清朝の父祖の地として厚く保護されてきたが、実際には罪を犯した文人の流刑地でもあり、更には北からロシアが、また南からは日本が侵入し、それぞれの文化を持ち込んだ、いわば文化的には外来の文化(本土からの流刑者も外来の中に含めるならば)が混在した、非常に興味深い地域である。恐らくここには中国本土には見られない独特の文化風土があったに違いないというのが、本研究の発想であり、動機である。また本研究は、近年盛んになりつつある当該地域研究の関心がともすれば「満洲国」以後に傾くことを踏まえ、それを補完しようという意図も含んでいる。 このため、当時の文化的状況を映す最も有効な資料として20世紀初頭の新聞資料を収集した。昨年度はその中から『盛京時報』を取り出し、初期の文学状況について検討、考察を行った。『盛京時報』を選択した主な理由は(1)『盛京時報』が創刊時から比較的欠号が少ない事、(2)資料の状態が比較的良い事である。 該報から文学作品及びそれに類するものを選び出し、内容を確認した。その作業を通じ、当初設けられた「白話」欄と別に、後に「小説」欄が設けられている事が分かったが、その契機は、該報上の白話小説を主張する論説(1907)にある事が推測された。 中国文学史上、「白話小説」が出現した時期は大きな問題である。一般には魯迅の「狂人日記」(1917)を肆矢とするが、該報の「白話」及び「小説」欄はそれに先だっている。また該報には日本人中島真雄が関わっており、日本の影響も想定する事が出来る。 以上のことを踏まえ、『盛京時報』に「小説」欄が設けられるまでの過程、及び「白話」欄との差異、また「小説」及び「白話」欄の内容等を比較考察し、その途中経過を論文「20世紀初頭の中国東北地区における文芸状況について」にまとめた。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究開始年度は資料の収集に相当の時間を要し、分析や考察の余裕があまりなかった。資料は引き続き収集する必要があるものの、入手困難なものをいくつか集められたことで、昨年度は順調に考察を進めることが出来たと考えている。
|
今後の研究の推進方策 |
今年度は最終年度であるので、昨年度考察の中心とした『盛京時報』以外の新聞資料にも視野を広げ、比較検討したいと考えている。その場合の大きな障害は、その他の新聞資料が『盛京時報』ほど保存の状態が良くないこと、昨年度分析した『盛京時報』とほぼ同時期のものがあまり残されていないことなどがある。しかし昨年度研究を遂行する中で、日本との関係も浮上してきた。従って、『盛京時報』と同時期の日本の文学状況も視野に入れることも考えている。とはいえ今年度はまず、時代をやや下り、複数の資料を見ながら、1920年代位までの(即ち中国の新文学運動が最も盛り上がりを見せた五四運動前夜あたりまでの)東北地区に於ける文学活動について、日本やロシアなどの影響も考慮しつつ纏めていきたいと考えている。
|