本研究は20世紀初頭、「満洲国」成立以前の中国東北地区の文芸状況を知ることを目的とする。「満洲国」以前に注目したのは、「満洲国」建国以後、当地の社会や文化にどのような変化が生じたのかを知る為に、その前提としてそれ以前の状況を把握しようと考えたからである。 本研究は、中国東北に関して現在最も充実した研究書である『黒龍江文学史』の、新聞文学が当地の新文学をリードしたという記述を手がかりに、20世紀初頭、当地で発行されていた新聞資料を中心に考察を進めた。ただ新聞資料も、創刊時から保存されているものは極めて少なく、欠損も多く見られた為、実際には限られた紙面を対象として考察を進めざるをえなかった。 東北で創刊された最初の中国語新聞は『遠東報』(1906、哈爾濱)と言われており、それからおよそ半年後に『盛京時報』(1906、奉天)が創刊された。前者はロシア人、後者は日本人の経営になるもので、発行地も北満と南満に分かれ、互いにライバル関係にあったとされる。20世紀初頭の状況を把握する為、この2紙に『泰東報』を加え、各紙の文芸、特に小説の掲載状況をリストアップした。その中から比較的保存状態の良い『盛京時報』を選び、新しい白話文学が東北地方でどのように創作されていったかを考察した。次に1910~20年までの『盛京時報』と『遠東報』両紙における文芸の扱い方を、文芸欄の形式から比較検討した。これらの考察は何れも論文の形で発表した。『遠東報』、『盛京時報』に関する言及がこれまでないわけではなかったが、それは何れも経営に関するもので、文芸に注目した研究は管見の及ぶ限りではまだ無い。しかも本研究では見られる紙面のすべてに目を通しており、その点でも信頼性の高い考察であると自負している。
|