カトマンドゥ盆地の先住民ネワール族(チベット・ビルマ語系)によってマッラ王朝時代に作られた演劇写本のうち、初期のものはベンガル語で書かれている。今まで存在が確認されていながら研究されなかったベンガル語演劇6点を研究した。 最終年度は16世紀後半から17世紀初頭の時期にバクタプル王国で著された作品Vidyavinodaを解読・分析した。これは男が花売り女に変装して後宮に忍び込み王女と通じる、という世俗的な物語を扱ったもので、出典は明らかではないが、ブリハット・カター説話集の系統に属する可能性がある。写本においてはネワール文字とベンガル文字が入り混ざった状態で筆記されているという、他に類を見ない奇妙な状態が見られる。巻末のコロフォンにはトゥグルク王朝の王フィーローズ・シャーの名前が言及される。物語は唐突に悲劇的な結末を迎えるが、これが果たして元からそうなのか、あるいは本来その続きがるのかは現時点では判断できない。 9月にカトマンドゥ市で行われるインドラ・ジャットラ(帝釈天祭)では仮面舞踊デビ・ナーチ(女神の舞踊)その他の伝統芸能を調査した。 11月にはパタン市の王宮前広場で行われるカルティク・ナーチ演劇祭を調査し、クリシュナ神と牛飼い娘たちとの諍いを描いた舞踊劇を記録した。これはマッラ朝期の演劇伝統を受け継ぐものである。 同じ演劇祭は盆地南端の山村ファルピンでも行われているが、こちらの伝統の方が古く、そして今日でも古いスタイルを忠実に守っているようである。今年の演目は、やはり男が花売り女に変装して王女の住む後宮に忍び込む、という物語で、上記の戯曲にある程度共通する。 このようにマッラ王朝期から続く演劇伝統は今なお生きており、ネパール人の精神文化を入れる器(形式)として機能している。そこに描かれているのは高度で複雑な人間心理の揺れ動きである。
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