英国での黄禍論をめぐる言説とその戯画が、プロパガンダ装置としてアジアで転用されたことが判明した。西洋の帝国主義を中国人の立場から批判したL・ディキンソン『中国人からの手紙』(1901)は、実際に中国の官僚が書いたと信じられ、岡倉天心やタゴール、辜鴻銘らによってアジア主義に援用された。黄禍論の戯画やその象徴である蛸の図像も、『評論の評論』誌を見る限り、むしろ反論で流用され、ロシアを蛸として描く「滑稽欧亜外交地図」が同誌に掲載されている。同時にそうしたアジア主義の母体であった神智学を契機とし、インドのグルチャラン・シンが浅川巧に案内され、朝鮮半島に共感した文脈を明らかにすることができた。
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