福島原発事故に際し、日本人はチェルノブイリ原発事故という前例を生かしてこなかったのではないか、という疑問が本研究の出発点である。では、文学はチェルノブイリをいかに描いてきたのか。その検証は、私たちの今後の核エネルギーへの対し方に示唆を与えてくれるはずである。 私はこれまでにスベトラーナ・アレクシェービッチの『チェルノブイリの祈り』、グードルン・パウゼヴァングの『雲』を中心に、両作家の核への意識を追ってきた。本年度は、若松丈太郎の連詩「かなしみの土地」についての研究論文を執筆した。若松は福島原発を予言した詩人として注目されたが、本論文では、若松は決して予言者ではなく、チェルノブイリの現実を凝視し、想像力を駆使して福島原発をまなざし、そこに見えたものを言語化しているのだということを、詩の言葉に即して検証した。そして、若松に特徴的なことは風景描写の二重性、また、警世の詩人としての姿勢は同じ東北の石川啄木に通ずることを指摘した。 若松が福島を以前から危惧していたとすれば、チェルノブイリを危惧していた者はいなかったのか。その点からタルコフスキーの映画『ストーカー』を取り上げた。この映画に登場するゾーンやちりばめられた原発とその事故のイメージに基く主題について考察し、論文にまとめ投稿中である。 また、日本人の執筆したチェルノブイリについて、広瀬隆の『チェルノブイリの少年たち』、中沢晶子『あしたは晴れた空の下で』、名木田恵子『レネット』を中心に考察した。子供たちへの直接的な被曝の恐怖を描いた広瀬に対し、他の生物との共存意識へとつながる「生命」の尊さを重視した中沢。だが、名木田はこうした問題意識を捨象し淡い初恋を重ねることでチェルノブイリを装飾のための遠景として描いた。ここに第二のチェルノブイリである福島を招いた日本人の感性が象徴されているのではないか、との指摘を今年夏の学会で発表する。
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