[背景]平成25年度と26年度で、従来の研究では包括的になされていなかった日本手話の語彙アスペクトの基本的な分類と、これまで非手指表現と手指表現の関連に重点が置かれていた否定表現の研究について、語彙意味論上の分類がおおよそ完了した。その知見をふまえ、平成27年度では、日本手話におけるアスペクト要素が文構造上に出現する位置が手話言語特有のものなのか、それとも音声言語とも共通の位置(述語の前後)なのかを、過去2ヶ年度にわたって収録したデータを中心に詳細に調べた。 [調査と分析]過去2ヶ年度にわたって収録したデータのうち、特に絵本を見せてその内容を日本手話で表出してもらうデータを再確認し、過去の書き起こしデータの確認、および新たな書き起こしを行った。アスペクト要素が出てくる日本手話の文に顕著な語順として、「A-B-A」(例:渡すー合わないー渡す"靴を渡すが(足に)合わない")という形式が見られた。一連の統語テストから、日本手話のABA型構文は、音声言語の統語における文構造構築の過程に見られる動詞繰り上げ(動詞が構造上より高い位置に生じる助動詞の位置に上方移動する)ではなく、統語計算後、構成素を表出のために線条化する際の過程が、音声を表出に用いる音声言語とジェスチャーを表出に用いる手話言語では異なることに依拠することを明らかにした。 [考察]音声信号とは異なり、手話言語の表出様式であるジェスチャーは、片方の手によってその場に留めておくことが可能である。そのため、統語計算が終了した後の語順決定の際に、一部の構成素を比較的長い時間にわたって表出の場に残しておける点で、プッシュダウンオートマトンに類似している。今年度明らかになった日本手話のABA型構文は、手話言語の語順決定のアルゴリズムには「プッシュダウンオートマトン状の計算機構」が関与している可能性があることを示唆するものである。
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