最終年度にあたる今年度は、室町期における和漢の異同や変容等を論ずるべく、とくに禅学/禅宗史の鉱脈を辿るほか、中国古典活用の闡明という課題に重点を置いてきた。 その一例として、昨年度から部分的・断続的に口頭発表を繰り返し、完成度を高めてきた画僧雪舟等楊の入明について、その契機や動機、入明中事蹟に関する新説をまとめることができた(東京大学美術史研究室編『美術史論叢』に「雪舟入明再考」として発表)。今次の最大の成果は、雪舟の自歴譜として重要な国宝《破墨山水図》自賛が、雪舟自身を王維に准え、その系譜に自身を位置付けていたという事実の発見である。唐代の書聖にして名画家たる王維は、『歴代名画記』等でも破墨の妙手として知られる。従来、「溌墨」技法で描かれた《破墨山水図》がなぜ「破墨」と自称されてきたのか成案なかったが、むしろこれは王維(の破墨)を強く意識した結果と捉えるべきだったのである。これは単なるアトリビュートの問題ではなく、禅画を捉える枠組みをいかに再考すべきかの方向性にヒントを与えてくれる。かかる論点については、後継の科研(基盤C「雪舟等楊の歴史学的研究」)にて深めていくこととしたい。 また、依頼原稿ではあるが、関周一氏の先進的な著書『中世の唐物と技術伝播』に対する書評を物したほか(『日本歴史』)、東京国立博物館で開催予定の「茶の湯」展図録に「珠光《心の一紙》を読む」と題する小文を寄せ、大乗仏教とくに維摩経・禅宗の文脈で読むべきことを再説した。近年、禅味を排して《心の一紙(心の文)》を読むべきだとする意見が強くなりつつあるからである。 以上により、本科研が主題とする「中世日本の国際交流と文化の移入・翻訳・複合」につき、単に外交の現場やインターフェイスの解明のみに留まらぬ、真の文化交流史や政治史との接合のさせ方への道標が築けたのではなかろうか。今後、こうした視点・論点を深めていきたい。
|