研究課題/領域番号 |
25370760
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
松尾 剛次 山形大学, 人文学部, 教授 (30143077)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 叡尊教団 / 中世律宗 / 西大寺末寺 / 五輪塔 / 尼寺 |
研究概要 |
本研究の目的は、奈良西大寺叡尊を祖師とする中世律宗教団(叡尊教団)の全国的な展開のありようを5年間をかけて明らかにすることにある。今年度は、比較的に私の事前調査が進んでいる筑後国浄土寺(福岡県大川市)に注目した。従来、叡尊教団の筑後国における展開についてはほとんど光が当てられてこなかった。それは、従来知られている中世の「西大寺末寺帳」に筑後国分の西大寺末寺が見えなかったからである。しかし、私は、新たに中世の西大寺末寺帳を見いだした。それは、分析により、1453年から1457年にかけて作成されたものである。それによれば、西大寺末寺として筑後浄土寺が記載されており、15世紀において筑後浄土寺が西大寺末寺であったことがわかる。筑後浄土寺は、西大寺末寺化以前は京都泉涌寺末寺として知られていた。浄土寺は筑後川沿いに位置し、肥後から肥前への渡し場という交通の要衝(榎津)を押さえていた。とりわけ榎津は、中国にも知られた有明海の貿易港で、中世律宗教団が河川・海上交通の要衝を押さえていた1例になる。また、浄土寺は風浪宮という神社の神宮寺で、室町幕府の地方拠点寺院である利生塔寺院でもあった。さらに、浄土寺は宝琳寺、摂取院といった尼寺も管理していたことを明らかにした。また、律僧を中心にハンセン病患者の救済活動に注目して「病の思想史」について明らかにした。以上の成果として、拙稿「病の思想史」(『岩波講座日本の思想 第5巻 身と心』岩波書店)、「中世叡尊教団と泉涌寺末寺の筑後国への展開~新発見の中世西大寺末寺帳に触れつつ~」(『山形大学大学院 社会文化システム研究科紀要 第10号』)を刊行した。また、戒律と社会との関係を理解するために、夏休み中にイスラエル国エルサレムを訪問し、厳しい戒律護持で知られるユダヤ教の超正統派の実情を調査し、戒律と現状の乖離をいかに調整しているのか調べた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上記で述べた成果のように、新たに発見した中世の西大寺末寺帳の翻刻・紹介が完了し、研究の基本資料の紹介ができた。それを踏まえて、筑後浄土寺の分析を行い、それにより、ほぼ九州全地区の中世叡尊教団の展開を明らかにできた。また、イスラエルのユダヤ教の超正統派の調査ができ、戒律をいかに現状と合わせるかについての律法者のありように、比較史的視点をもつことができた。さらに、概説とはいえ、岩波講座「日本の思想」において、ハンセン病患者の救済活動に焦点を絞って、日本の病の思想史を論じ、中世叡尊教団の活動を「病の思想史」上に位置づけることができたの重要であると考える。
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今後の研究の推進方策 |
25年度に肥前・肥後両国を除く九州地区の中世叡尊教団の展開を明らかにできた。それを踏まえ、26年度においては肥前・肥後両国における律宗の展開を明らかにし、その成果を論文として発表したい。そのための調査を26年度中に行う。また、27年度には美濃国(岐阜県)、越中国(富山県)の調査を行い、その成果を論文化したい。28年度には河内(大阪府)の調査を行う。29年度には、中世叡尊教団の全国的な展開の成果をまとめたい。
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