研究課題/領域番号 |
25370760
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
松尾 剛次 山形大学, 人文学部, 教授 (30143077)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 叡尊教団 / 豊後金剛宝戒寺 / 幸尊 / 豊前宝光明寺 / 駅館川 / 殺生禁断 |
研究実績の概要 |
本研究は中世において最大勢力を誇った叡尊教団の全国的展開を明らかにすることに狙いがある。本年度は、豊前・豊後国、肥前・肥後国、尾張、河内といった諸国に注目して調査した。そのため、大分県大分市金剛宝戒寺、日田永興寺、宇佐大楽寺、福岡県立図書館、福岡県小倉市大興善寺、太宰府観世音寺、福岡県立図書館、佐賀県立博物館、熊本県立図書館、愛知県鶴舞図書館、稲沢図書館、大阪府立図書館ほかを訪問し、現地調査と資料収集などを行った。それにより、数多くの新史料を発見できた。その成果の1つととして松尾剛次「叡尊教団の豊後・豊前国における展開」『山形大学歴史・地理・人類学論集 11』(2015年3月、pp1-28)がある。それは豊前・豊後両国における叡尊教団の展開を論じたものである。とりわけ、金剛宝戒寺では、従来、初代金剛宝戒寺長老幸尊が宝戒寺中興の祖と考えられてきたが、幸尊はほぼ1月程度しか長老ではなく、第2代の理一房が中心的担い手であったことを明らかにした。また、豊前国で第2位の西大寺直末寺であった宝光明寺の役割を明らかにできた。宝光明寺は周防灘に注ぐ駅館川の河口近くに位置し、殺生禁断権を梃子に川の民支配権を有していたと考えられることを明らかにした。先の拙稿により、叡尊教団が川や海沿いの地にまず展開し、河川・海の港を押さえていたことをより具体的に明らかになった。さらに、豊後国分寺の支配などから1240年代には豊後国などには叡尊教団は展開を開始し、宝治2(1248)年の忍性の九州下向も、それを踏まえたものと推測される。本年度の研究により、次年度は周防灘の対岸にも叡尊教団の顕著な展開が推測され、長門・周防の叡尊教団の展開の必要性が明確となった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
26、27年度には肥前国(長崎県・佐賀県)、肥後国(熊本県)、筑後国・筑前国(福岡県)、豊前・豊後(福岡県、大分県)といった北部・中部九州地域の叡尊教団の展開を研究する予定であったが、すでに松尾剛次「叡尊教団の豊後・豊前国における展開」『山形大学歴史・地理・人類学論集 11』(2015年3月)を刊行できた。また、肥前・肥後、筑前・筑後国についても、順調に研究を進めている。ただ、研究の深化によって、さらに研究すべき新たな資料も見つかっている。たとえば、豊後金剛宝戒寺では、聖徳太子2才像の胎内銘調査が可能となり、金剛宝戒寺の再調査が必要となった。
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今後の研究の推進方策 |
27年度も肥前国(長崎県・佐賀県)、肥後国(熊本県)、筑後国・筑前国(福岡県)、豊前・豊後(福岡県、大分県)といった北部・中部九州地域の叡尊教団の展開を研究する予定である。とりわけ、肥前・肥後国については27年度中に成果を論文にまとめる予定である。また、研究の深化によって、さらに研究すべき新たな資料も見つかっている。たとえば、豊後金剛宝戒寺では、聖徳太子2才像の胎内銘調査が可能となり、金剛宝戒寺の再調査が必要となった。そのため、すでに成果をまとめた豊後国の叡尊教団の展開も再度行う予定である。28年度以降は、長門・周防、河内、尾張、三河、美濃と研究領域を広げていこうと考えている。その際、美術史家と協力を得て、聖徳太子2才像などの美術作品をも資料として活用するつもりである。
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