本研究は、近代日本の遊郭について、遊女屋(貸座敷業者)が記録していた「遊客名簿」を素材に、男性遊客と娼妓の実態や意識構造を分析することを目的とする。 ①第3年度は、主たる史料である福島県郡山遊郭の「蓬莱楼文書」の、明治42年~大正15年(1909-26)の「遊客名簿」のデータ(登楼日、登楼・退楼時間、名前・住所・年令・職業・風貌、相方娼妓、消費金額)の入力を、第2年度に引き続いておこない、おおよそ終了することができた。その他の「金銭出入控帳」などの入力作業は、当初計画には入っていなかったものの、遊客個人単位のデータも得られるため、入力を始めたが、ごく一部で終了せざるをえなかった。また、大都市型や地方都市型ではなく、あらたに観光地型である伊勢の古市遊郭の史料の入力をおこない、完成させた。 ②第2年度には、現地調査などによって、同じ東北の地方都市型遊郭として、新潟県柏崎遊郭、青森県八戸遊郭の史料を発見、調査したが、今年度も山形県山形東町遊郭の史料を調査することができた。また、大阪の新町遊郭・南五花街遊郭などの史料を入手した。 ③分析はまだ十分行うことができていないが、類型の違いをみることの重要性が明らかになりつつある。 ④研究分担者は、京都市の七条新地、祇園、宮川町、大和郡山市の洞泉寺、岡山市西中島などの遊廓のフィールドワークをおこない、祇園甲部が明治以降に舞妓・芸妓に特化する京都の花街イメージを創り出してきたことを明らかにし、『京都の歴史を歩く』(岩波新書)で祇園論を著した。
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