浄土真宗関係史料や曹洞宗関係史料が多く残存している北陸地方での史料調査を行い複写を行うとともに同史料が所収されている史料集を購入した。また、国立公文書館内閣文庫などで『護持院書留』など寺社史料や朝幕関係史料の調査・複写を行った。これまでの蒐集史料の分析・検討の結果、論文2編を上梓した。 まず、1編目では、徳川将軍家の官位叙任・元服儀礼に関する朝幕交渉などを素材として、古代以来の「王」である天皇が徳川将軍家を最高の「権門」としてその下に置いていたこと、権威(官位)の淵源は天皇に俟つものの徳川将軍(封建王)が、権威(官位)の分配においては基本的に支配していたことを明らかにした。 このような幕藩制国家上層における権門体制の「存続」と公儀支配の「貫徹」は「寺法」は幕藩制国家における二つの「王権」システムの並存を示唆するものであるが、2編目の論文においては、徳川将軍家が自身が大旦那である浄土宗教団の寺社伝奏の役割を果たしていること、寺社法度の分析などにより僧位・僧官・大師号などにおいても同様のメカニズムが機能していることを指摘した。 また、j寺法と「国法」との関係では、天皇に正統性を仰ぐ身分に関しては寺法は一定の不可侵性を有しているものの封建王の知行宛行いの延長ともいうべき領域支配については既得権がない限りは抗担性をほとんど有していないことを論じ、かかる寺法と「国法」との関係性は、幕藩制国家における二つの「王権」システムの並存を投影したものであるとの見解を述べている。
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