寺社法度や法然の大師号宣下の分析などにより古代以来の「王」である天皇が徳川将軍家を最高の「権門」としてその下に置いていたこと、権威(官位)の淵源は天皇に俟つものの徳川将軍(封建王)が、権威(官位)の分配においては基本的に支配していたことを明らかにした。 また、寺法と「国法」との関係では、天皇に正統性を仰ぐ身分に関しては寺法は一定の不可侵性を有しているものの封建王の知行宛行いの延長ともいうべき領域支配については既得権がない限りは抗担性をほとんど有していないことを指摘し、かかる寺法と「国法」との関係性は、幕藩制国家における二つの「王権」システムの並存を投影したものであると結論した。
|