研究課題/領域番号 |
25370788
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研究機関 | 宮城学院女子大学 |
研究代表者 |
大平 聡 宮城学院女子大学, 学芸学部, 教授 (40192520)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 学校資料 / 日誌 / 学校日誌 / アジア・太平洋戦争 / 満州移民 / 空襲 / 勤労奉仕 / 供出 |
研究実績の概要 |
2015年度は、これまで収集した学校資料の中でも、特に歴史資料として利用価値の高い学校日誌の記述内容を分析し、歴史資料として地域史研究に提供する方法について、実践的に研究を進めた。ちょうど、アジア・太平洋戦争終結から70年を迎えたことから、宮城県内の地域博物館・資料館等で戦時中の生活を回顧する展覧会が企画され、資料調査で協力していただいた登米市歴史博物館、気仙沼市教育委員会、仙台市戦災復興記念館から、学校日誌を用いた展示コーナーの作成を依頼された。仙台市戦災復興記念館では、仙台空襲のあった7月10日前後に開催する戦災復興展において、「学校日誌に記された仙台空襲」のテーマ展示と、仙台市内で初めて調査することができた昭和20年度の宮城師範学校附属小学校(現宮城教育大学附属小学校)の学校日誌より、空襲後、県北への疎開を実施するまでの経緯を示す展示コーナーを作成した。「学校日誌に記された仙台空襲」では、県内約20校の学校日誌に記された仙台空襲関係記事を並べることにより、警報発令時刻、被災情報の広がりなどを確認することができることを示すことができた。展示に当たっては、展示する画像資料に記された個人名を消すなどの加工を施した上で、各所蔵校に示し、承諾を得た。登米市歴史博物館では、館の展示企画に合わせ、館より求められた項目に関連する記述のある日誌を選び、展示資料を作成して提供した。また、特別展関連企画として、市内16校の日誌から構成したスライドを用い、「小学校の日誌からたどるアジア・太平洋戦争期の登米市」と題する講演を行った。気仙沼市では、資料調査で発見した、昭和12年発行の学校通信紙を中心に昭和初期の経済不況から昭和20年の敗戦に至る過程を学校日誌の画像によって展示した。展示を通じて、一般の方にも学校資料の重要性を示すことができ、学校資料を用いた地域史叙述の展望を得ることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2015年度は、新たな調査地域を開拓せず、これまで調査を行ってきた地域の再調査、補充調査を行うこととした。その結果、新たな資料を収集することができた一方、かつて調査を行った学校で、資料が廃棄されてしまった事態に遭遇するという経験もすることとなった。調査後にはその成果を学校に伝えて資料の重要性を説明し、その保存を依頼している。説明をしたときには理解していただけるのであるが、多くの場合、個人の理解に留まり、組織としての理解にまで深化させることはなかなかできない。そのためには、学校資料がいかに地域にとって重要な資料であるかを示し、理解者を増やしていくことが必要である。本研究の目的とする、学校資料の史料化、そしてそれに基づく歴史叙述の実践は、まさに学校資料の重要性を訴え、その保存を実現するための基礎作業となるものであるが、2015年度は、この点において、予定を上回る実践的研究を行うことができた。 「研究実績の概要」において述べたように、2015年はアジア・太平洋戦争終結に当たり、戦時中の歴史・生活に関心が高まったことから、本研究に関心を持った方々より、展示作成、講演の依頼が寄せられ、資料分析を加速させざるを得ない状況が生まれた。特に、調査に積極的に協力していただいた登米市・気仙沼市から展示作成の依頼をいただいたことにより、それぞれ15校を超える学校の、昭和2年度から昭和21年度までの日誌記述を全部通して見ることができたことは大きな成果であった。それにより、学校日誌をもととした地域史研の課題を数多く認識することができたし、また、日誌記述を用いた地域史叙述の可能性も展望することができた。展示という方法が、研究成果の公開手段として有効であると同時に、学校資料の重要性を一般の方々にも理解していただく上に有効であることを確認できたことも、大きな成果であったと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
本研究の最終年度となる今年度はすでに、昨年度は開拓できなかった、県内の新たな調査地域を確保することができている。その予備調査で、戦前にさかのぼる学校日誌を所蔵している学校を確認しており、新たな資料収集が期待されるが、さらに、調査地域を広げるべく、努力したい。また、すでに調査を行ってはいるものの、調査方針の変更により、さらに補充調査を必要とする学校が複数あり、それらの資料調査も実施して資料収集を進めたい。 学校資料は学校日誌だけでなく、多種多様な資料から構成されている。気仙沼市立気仙沼小学校からは800点を上回る資料群の整理を委ねられ、現在ほぼその概要を把握しつつある。この整理作業を通し、学校資料の整理・分類方法についても研究を進め、学校資料保存のための提言を行いたい。 2015年度は、昭和初期の経済的困窮状況からアジア・太平洋戦争終結に至る過程を、日誌記述によって展示で示し、スライド化して講演する実践を行った。今年度は、2015年度の実践で蓄積した資料に基づき、市町村レベルでの地域史叙述を具体的に示していきたい。当面、資料の豊富な登米市と気仙沼市の資料をもとに実践を試みる予定であるが、それぞれ、地理的条件が異なり、産業構造にも違いがあるため、同じ東北地方、宮城県内といっても、多様な生活実態があったことが確認できるのではないかと考えている。特に、昭和9(1934)年の東北大冷害の影響は、産業構造の違いによる地域差があり、地方公共団体の対応にも違いが見られるように予察している。 日誌記述に基づく歴史叙述を行うことにより、日誌を用いた新たな研究方向に気づかされることが多々ある。学校日誌によって、どのような問題が研究課題として追究可能であるかも見極め、新たな研究課題の開拓も積極的に行っていきたい。
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