木下イ(韋+華)村の日記(熊本県立図書館所蔵)の全部を撮影し、雲藤等、片岡浩毅両君の協力を得ながら解読を進めた。科研費採択以前に既に「木下イ(韋+華)村日記(一)」と「木下イ(韋+華)村日記(二)」を翻刻していたので、平成25年度には「木下イ(韋+華)村日記(三)」から「木下イ(韋+華)村日記(五)」までを活字化した(『早稲田社会科学総合研究』第14巻第1号~第3号)。日記の翻刻作業は今後も継続して行くが、それ以外に平成25年度には熊本県立図書館所蔵の木下イ(韋+華)村宛書翰及び木下イ(韋+華)村自身の書翰を撮影した。これらの作業を通して、木下が藩主の世子の教育係として、論語・孟子を始めとする儒教古典を懇切丁寧に指導し、また漢詩の指導もしていた様子が如実に明らかとなった。たとえば孟子を手ほどきする際に、単に孟子を解釈するだけではなく、当時の具体的状況を踏まえ、それを孟子の言葉で表現すればどうなるのかというような質問をするなど(天保13年2月25日条)、活きた学問を志していたことも判明した。また木下は、世子の教育を担当する合間、江戸在住の著名な文人安井息軒、塩谷宕陰らとたびたび文会を催し、儀礼を読んだり詩文をやりとりしたり、切磋琢磨している様子もうかがえる。さらに木下は、松崎慊堂が行っていた経書校訂の作業にも関与していたことが記録されていることは貴重で(天保13年8月)、各藩が貴重な経書の選定に協力していたことが知られる。
|