研究課題/領域番号 |
25370799
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
島 善高 早稲田大学, 社会科学総合学術院, 教授 (60187424)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 木下イ(韋+華) / 熊本 / 真木和泉守 / 久留米 |
研究実績の概要 |
①昨年度に引き続き、雲藤等君の協力により「木下イ(韋+華)村」日記の翻刻作業を精力的に行ない、天保14年5月14日から弘化3年5月10日まで活字化することが出来、3回に分けて『早稲田社会科学総合研究』誌(第14巻3号~第15巻2号)に掲載した。②関連史料収集のために熊本大学付属図書館永青文庫及び熊本県立図書館に出張し、関連史料を写真撮影した。③木下の出身地菊池市の元市長牧俊郎氏のご高配で、木下の誕生した今村を調査し、木下の先祖の墓、師匠桑満伯順の墓、木下一族の子孫宅などを調査した。その結果、木下の祖父以来、木下家は今村の庄屋役を務め、祖父の時代に地士に席を進めたこと、さらには江戸時代、今村は熊本藩番方の下河辺氏の給地であったことが判明し、下河辺氏の推輓によって木下が藩校時習館の訓導大城霞萍の塾に入門したことも判明した。④さらに、木下が生存した時代、久留米藩の水天宮宮司真木和泉守は、神官でありながら漢籍への造詣が深く、藩政改革そして討幕運動に従事していた。木下自身は真木和泉守と面識がなかったと思われるが、木下の弟真弘が久留米に出かけて真木和泉守と会っていることが判明した(弘化元年4月8日条)。そこで、水天宮に所蔵されている真木和泉守の史料調査にたびたび出張し、その一旦を「真木和泉守の国家構想」として纏めることが出来た。⑤研究室所属の院生片岡浩毅君が、木下の年譜を調査して、「木下イ(韋+華)村伝関連史料の紹介」(『社学研論集』Vol. 23)として発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初予定の①史料撮影、史料目録作成、②人名・書籍名調査、③門人帳翻刻、④書翰翻刻、⑤日記翻刻のうち、①~③はほぼ予定通り進捗している。ただし⑤日記全20巻は、虫損や水損が激しく、判読不能の箇所が多々存在するので、解読作業が予想外に難航し、現在のところ9巻までしか翻刻しえていない。その影響で、④の作業もやや遅れている。
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今後の研究の推進方策 |
本研究の最大の目的は日記全20巻の解読・翻刻であるので、研究補助者2名の協力を得ながら、今年度も日記の翻刻作業に没頭する。ただし、翻刻を連載している『早稲田社会科学総合研究』は年3回の発行であるので、研究期間内に掲載できるのは第9巻までである。研究期間終了後も連載は続行する予定である。
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