本年度は、引き続き、幕末に至るまでの長崎奉行に関する史料調査を、主に長崎歴史文化博物館において行った。また東京大学史料編纂所所蔵の「日本商館文書」マイクロフィルムのうち、商館の商業帳簿をプリントしたものを各年度ごとに製本した。これは、長崎奉行の貿易枠と取引内容、さらに長崎奉行への贈答品などを知るためである。 そして長崎歴史文化博物館所蔵の「長崎御奉行交代控」を活字化して発表した。これは、長崎奉行成立から幕末、そして明治時代の長崎の状況まで明らかにしている史料である。ここでは、この史料の成立年代や、その記載上の特徴や内容の分析を行った。 また1790年代から1820年代に活躍した知識人官僚で、長崎奉行にも着任した中川飛騨守忠英に注目し、その業績をまとめた。中川は、寛政改革の中心人物である松平定信による能力主義により、低い身分から目付に大抜擢された人物である。その後、中川は長崎奉行、勘定奉行(関東郡代兼任)、大目付、留守居にまで出世していく。 その過程の中で、各役職において重要な役割を担っていった。また、特に注目すべき業績は、人材育成であり、大田南畝、近藤重蔵、遠山景晋などを次々と抜擢し、昇進させた。そして当時の幕府中枢での対外交渉担当として、蝦夷にも赴き、長崎奉行にも着任し、長崎では通詞の能力試験を始めた。さらに中川はこの時代盛んとなっていった編纂事業にも大きく貢献している。長崎奉行時代には、中国の風俗を紹介した『清俗紀聞』をまとめ、幕府制度については、徳川氏の系譜や幕府の組織や行事、目付の職掌などを次々と編纂していった。 この時期に盛んとなった編纂事業による記録なしで、今日の近世史研究は成り立たない。そういう意味でも中川の果たした役割は高く評価されるべきものである。このような状況について明らかにした。
|