本研究では、まず幕末に至るまでの長崎奉行制度と長崎貿易の大きな改革期は天明から文化期(1780~1810年代)であり、その改革方針に多大な影響を及ぼしたのが、工藤平助による「報国以言」という意見書であることを指摘した。そして、この意見書に沿った形で、幕府は田沼時代の天明前期から、松平定信が政権を握る天明後期、それ以降も継続的に長崎貿易改革を実施していくことを示した。 また、上記の期間に長崎奉行に着任したこともある知識人官僚である中川飛騨守忠英の幅広い活躍を通じて、この時期の幕府による対外政策の推移、そして人材育成・発掘や幕府諸機関の記録編纂が活発化することを明らかにした。
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